大鳥島に分派された第2大隊
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「歩兵第170連隊」の記事における「大鳥島に分派された第2大隊」の解説
1942年(昭和17年)9月19日:サイゴンに集結。 9月20日:陸軍特殊船「あきつ丸」に乗船。 10月2日 :大鳥島に上陸し、海軍第65警備隊の指揮下に入り陣地構築。 12月23日:大鳥島が敵艦載機の空襲を受ける。 1943年(昭和18年)6月12日:『大陸命第八百號』により歩兵第170連隊は復帰。南海第3守備隊(近森重治大佐)に改編。東部軍(土肥原賢二大将)に編入。 9月 :連隊主力残部と独立混成第21旅団の残存一部(旅団戦車隊.等)も、編合されることになったが、再び潜水艦攻撃を受け海没。トラック島で再編後に到着。 10月6・7日:敵艦載機約500機の空襲、及び艦砲射撃を受け、飛行場・砲台など地上施設も甚大な被害を受ける。戦死360名(陸58名・海302名)。 1944年(昭和19年)1月1日 :独立混成第5連隊第1大隊(三井彌一大尉)940名、戦車第16連隊(八代重規中佐)の九五式軽戦車18両が南海第3守備隊に編入。 2月25日:南海第3守備隊は東部軍から第31軍(小畑英良中将)直轄に編入。 5月24日:敵艦載機350機の空襲を受け、敵機30機を撃墜するも、戦死32名(陸9名、海23名)、地上施設に損害を受ける。 6月3日 :南海第3守備隊は独立混成第13連隊に改編。 1945年(昭和20年)8月16日:戦局の悪化に伴い糧食不足が深刻化、敵上陸に備え迎撃訓練を実施するなか、停戦。 10月5日:復員船の病院船「橘丸」に乗船。 11月1日:病院船「氷川丸」に乗船し浦賀に上陸。 11月14日:復員完結。
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