大鳥島に分派された第2大隊とは? わかりやすく解説

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大鳥島に分派された第2大隊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/16 21:43 UTC 版)

歩兵第170連隊」の記事における「大鳥島に分派された第2大隊」の解説

1942年昭和17年9月19日サイゴン集結9月20日陸軍特殊船あきつ丸」に乗船10月2日大鳥島上陸し海軍65警備隊指揮下に入り陣地構築12月23日大鳥島敵艦載機の空襲を受ける。 1943年昭和18年6月12日:『大陸命第八百號』により歩兵第170連隊復帰南海第3守備隊(近森重大佐)に改編東部軍土肥原賢二大将)に編入9月連隊主力残部独立混成21旅団残存一部旅団戦車隊.等)も、編合されることになったが、再び潜水艦攻撃を受け海没。トラック島再編後到着10月6・7日:敵艦載機約500機の空襲、及び艦砲射撃を受け、飛行場・砲台など地上施設甚大な被害を受ける。戦死360名(陸58名・海302名)。 1944年昭和19年1月1日独立混成第5連隊第1大隊三井彌一大尉940名、戦車16連隊八代重規中佐)の九五式軽戦車18両が南海第3守備隊編入2月25日南海第3守備隊東部軍から第31軍小畑英良中将直轄編入5月24日敵艦載機350機の空襲を受け、敵機30機を撃墜するも、戦死32名(陸9名、海23名)、地上施設損害を受ける。 6月3日南海第3守備隊独立混成13連隊改編1945年昭和20年8月16日戦局の悪化に伴い糧食不足が深刻化、敵上陸備え迎撃訓練実施するなか、停戦10月5日復員船病院船橘丸」に乗船11月1日病院船氷川丸」に乗船し浦賀上陸11月14日復員完結

※この「大鳥島に分派された第2大隊」の解説は、「歩兵第170連隊」の解説の一部です。
「大鳥島に分派された第2大隊」を含む「歩兵第170連隊」の記事については、「歩兵第170連隊」の概要を参照ください。

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