米山米鹿とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 米山米鹿の意味・解説 

米山米鹿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/16 01:37 UTC 版)

米山 米鹿
生誕 1888年7月30日
日本 東京府
死没 (1960-05-21) 1960年5月21日(71歳没)
所属組織  大日本帝国陸軍
軍歴 1910年 - 1945年
最終階級 陸軍少将
テンプレートを表示

米山 米鹿(よねやま よねしか、1888年明治21年)7月30日[1] - 1960年昭和35年)5月21日[1])は、大日本帝国陸軍軍人。最終階級は陸軍少将。功四級[2]

経歴

1888年(明治21年)に東京府で生まれた[1]陸軍士官学校第22期卒業[1]1937年(昭和12年)8月2日陸軍歩兵大佐進級と同時に留守第1師団司令部附(東部防衛司令部[3][4])となり[2]1938年(昭和13年)6月に歩兵第70連隊補充隊長(中部防衛司令部・留守第4師団[5][6])に就任した[2]1940年(昭和15年)3月9日に独立混成第2旅団司令部附(駐蒙軍[7][8])となり[2]8月1日歩兵第170連隊長(南支那方面軍第104師団・歩兵第107旅団[9][10][11])に就任して日中戦争に出動した[9]

1941年(昭和16年)6月28日第52師団司令部附(東部軍[12][13])となり[2]8月25日に陸軍少将進級と同時に第52歩兵団長(東部軍・第52師団[12][13])に着任した[1][2]1942年(昭和17年)12月に独立混成第22旅団長(第23軍)に転じ[1]、中国戦線に出征[1]。同旅団はのちに第11軍隷下に編入され[1]桂柳会戦では西江沿岸の第23軍兵站戦の守備に任じ[1]、終戦時は全県に位置した[14]

1948年(昭和23年)1月31日、公職追放仮指定を受けた[15]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h i 福川 2001, 802頁.
  2. ^ a b c d e f 外山 1981, 286頁.
  3. ^ 外山・森松 1987, 566頁.
  4. ^ 外山・森松 1987, 567頁.
  5. ^ 外山・森松 1987, 569頁.
  6. ^ 外山・森松 1987, 570頁.
  7. ^ 外山・森松 1987, 527頁.
  8. ^ 外山・森松 1987, 529頁.
  9. ^ a b 外山・森松 1987, 553頁.
  10. ^ 外山・森松 1987, 555頁.
  11. ^ 外山・森松 1987, 556頁.
  12. ^ a b 外山・森松 1987, 573頁.
  13. ^ a b 外山・森松 1987, 575頁.
  14. ^ 外山・森松 1987, 1270頁.
  15. ^ 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年、「昭和二十三年一月三十一日 仮指定者」212頁。

参考文献 

  • 外山操・森松俊夫 編著『帝国陸軍編制総覧』芙蓉書房出版、1987年。 
  • 福川秀樹 編著『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 4829502738 
  • 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房出版、1981年。 ISBN 4829500026 



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  米山米鹿のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「米山米鹿」の関連用語

米山米鹿のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



米山米鹿のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの米山米鹿 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS