米山義則とは? わかりやすく解説

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米山義則

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 03:58 UTC 版)

米山 義則(よねやま よしのり、1955年2月18日[1] - 2006年6月5日)は、アルゼンチンで活躍した日本人バンドネオン奏者。

略歴

東京都出身。1970年千代田区立麹町中学校卒業。

1972年にバンドネオンを入手。日本大学櫻丘高等学校卒業[2]1974年アルゼンチンに渡る。カルロス・フィガリ(Carlos Figari)楽団のバンドネオン奏者となる。その後、レオポルド・フェデリコ楽団の第一バンドネオン奏者を務めることもあった。1993年、『米山義則とオルケスタ・ティピカ』(Yoshinori Yoneyama y Su Orquesta Típica)を結成する。カルリートス(Carlitos) の愛称があった。

2006年6月5日、アルゼンチンの病院で、心不全で死去する。51歳であった。

タンゴの当地ブエノスアイレスを本拠地として、プロのバンドネオン奏者として活躍した日本人は米山が最初であり、アルゼンチンでのタンゴ楽団代表にまでなった日本人も彼のみである。

CD

脚注

  1. ^ 『現代物故者事典2006~2008』(日外アソシエーツ、2009年)p.693
  2. ^ 米山義則さん(12回生) - 日本大学櫻丘高等学校同窓会サイト

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