武徳殿
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/27 16:20 UTC 版)
「三条市歴史民俗産業資料館」の記事における「武徳殿」の解説
1934年の三条市市制施行を契機に、当時の陸軍大将鈴木荘六(三条出身)を顧問、今井雄七(丸井商店社長)を発起人に、「武徳殿」建設計画が具現化した。今井の寄附(3万5千円)をはじめ寄附金4万5千円を集め、1935年2月20日に起工、7月19日に竣工した。設計は東京の木田組、施工は高野熊次郎(棟梁、下田村出身)。竣工当初は、唐破風の玄関より入り、正面に武甕槌命を主神とする鹿島神宮を祭り、剣道場、柔道場、弓道場、貴賓室を配していた。 戦後、一時的にGHQに接収されたが、1947年からは公会堂、1949年からは三条市公民館、1981年からは三条市立青少年育成センターとして使用された。1983年には三条市立図書館の新館建設工事により一部を図書館として使用したこともあった。 1989年に青少年育成センターが移転し、本館は三条市歴史民俗産業資料館として使用されることになった。
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