武徳会柔術形
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明治39年(1906年)7月、京都の大日本武徳会本部にて、講道館の嘉納治五郎委員長と戸塚派揚心流の戸塚英美委員、四天流組討の星野九門委員、他17名の委員補(双水執流組討腰之廻第十四代青柳喜平、不遷流柔術四代田邊又右衞門など)柔術10流・師範20名で構成される「日本武徳会柔術形制定委員会」により嘉納委員長の提示した当時の講道館形を原案に検討し1週間で制定された。その内容は1908年に便利堂書店から『大日本武德會制定柔術形』として出版される。講道館柔道を含む全柔術流派を統合する形であった。講道館柔道形の投の形、固の形、極の形として残されている。
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