武道家・武術家として
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日本伝講道館柔道の創始者である嘉納治五郎は、武術に教育的価値を見出し整備した武道のパイオニアであり、武術家としてその実績から「維新以降百年の柔術界の最高の偉人」 とも評される武術・柔術界の第一人者であった。 嘉納は講道館柔道の創始と共に、大日本武徳会設立にも参加し、「武徳会柔術試合審判規定」(1899年)、「武徳会柔術形制定委員会」(1906年)において諸流派の委員をまとめる委員長を務めた。柔道(柔術)家・剣道(剣術)家等の武道(武術)家の称号制定に際しては、当初から武徳会全武術の最高位の範士号・教士号の審査を担当する選考委員3名のうちにあり(共に担当した委員は北垣国道、渡辺昇)、嘉納自身が範士号を授与されたのも他の授与者と比較して40代という若さでであった。また、1914年12月に武術詮衡委員が「柔道」「剣道」「居合」「弓術」「槍術」の各武術毎の委員に委嘱され選考されるようになった際にも、嘉納は全部門委員を統括する委員会委員長に委嘱されている。 また、嘉納は多彩を極める古流の中には心眼流や大東流など乱捕りという共通部分を持たない特殊なものも多い事を認識し、講道館柔道の完成と普及に尽力する一方、各古流の道場を廻って講道館に組み入れる事の出来なかった他流の技法の保存と伝承に力を入れていた。
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