正規搭乗員
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地位宇宙飛行士船長ニール・A・アームストロング最後にして2回目の宇宙飛行 司令船操縦士マイケル・コリンズ最後にして2回目の宇宙飛行 月着陸船操縦士エドウィン・E・オルドリンJr.最後にして2回目の宇宙飛行 当初は、船長にニール・アームストロングを、司令船操縦士(CMP)にジム・ラヴェルを、月着陸船操縦士(LMP)にバズ・オルドリンを、それぞれアポロ9号の予備搭乗員として割り当てることが1967年11月20日に公式に発表された。ラヴェルとオルドリンは以前、ジェミニ12号の搭乗員として一緒に飛行したことがあった。月着陸船(LM)の設計と製造に遅れが生じたため、アポロ8号とアポロ9号は正規搭乗員および予備搭乗員が交代させられ、アームストロング船長以下の搭乗員はアポロ8号の予備搭乗員になった。通常の搭乗員ローテーション計画に基づけば、アームストロングは当時アポロ11号の船長になるものと予想されていた。 ところが、うち1人が変更されることになった。アポロ8号に正規搭乗員として乗り組む予定だったマイケル・コリンズが両脚に故障を抱え始めたためである。医師からは5番目と6番目の椎骨間の骨の成長に問題があると診断され、外科手術を要するほどの容態であった。そのため、ラヴェルがコリンズに代わってアポロ8号の搭乗員になり、コリンズは故障から回復すると司令船操縦士としてアームストロング船長以下の搭乗員に加わった。その間、フレッド・ヘイズが月着陸船操縦士として、オルドリンが司令船操縦士として、それぞれアポロ8号の予備搭乗員を務めた。搭乗員全員が先に宇宙飛行を経験したことのあるベテラン飛行士で編成されたのは、アメリカの宇宙開発史上、アポロ10号に次いでこれが2度目のことだった。以後、全員がベテラン飛行士で編成される3度目の機会は1988年のSTS-26まで訪れることはなかった。 一部では、オルドリンはともに働くことに難があると思われていたため、飛行乗組員の運用責任者だったスレイトンはアームストロングにオルドリンをラヴェルと交代させる選択肢を用意した。アームストロングはオルドリンと働くことに何も問題を抱えていなかったが、与えられた選択肢について日が暮れるまで熟考した。アームストロングが考えたところでは、ラヴェルは船長として彼独自のミッションを指揮してもらうのが当然であるとの結論に至った(結局、ラヴェルはアポロ13号の船長を務めた)。 アポロ11号の正規搭乗員は、アポロ12号の搭乗員に特徴的にみられたような、親密で積極的な仲間意識を持っていなかった。代わりに、気立てのいい仕事上の関係を築いた。とりわけアームストロングは周知のごとくよそよそしかったが、コリンズも自身を孤独が好きだと思っており、もっと個人的な関係を創出しようとしてきたオルドリンをはねつけていたことを告白した。オルドリンとコリンズはアポロ11号の乗組員について「親しげなよそ者たち("amiable strangers")」だったと記している。ただし、アームストロングはこの人物評価に同意せず、「私が接した乗組員は皆一緒にとてもよく働いた」と述べた。
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