正平15年の地震
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 08:00 UTC 版)
紀伊日高郡『蓮専寺記』には、正平地震の前年に以下のような地震の記録がある。 正平15年(延文5年)10月4日(1360年11月13日[J]、11月21日[G])- 紀伊・摂津で大震。 正平15年(延文5年)10月5日(1360年11月14日[J]、11月22日[G])- 紀伊・摂津で再震、翌6日六ツ時(6時頃)津波有。震央(推定)は北緯33度24分 東経136度12分 / 北緯33.4度 東経136.2度 / 33.4; 136.2、規模はM7.5~8。 四日大地震十三回、同五日九ツ時大地震淘、同六日朝六ツ時過津浪上、熊野尾鷲より摂州兵庫まで大荒、牛午人之死る事数不知、 この前年の地震の記録は、正平南海地震に対する熊野灘以東が震源域である東海道沖の地震と考えられたことがあるが、南海トラフ沿いの巨大地震ならば当然強い揺れが予想される京都で記された『愚管記』、『後愚昧記』など公卿の記録になく、地震の存在自体が疑わしいとされる。 現存する『蓮専寺記』は江戸時代の文化年間に書写整理されたもので、近世以降の内容については信頼性が高くこの地域の大変貴重な史料とされている。しかし、蓮専寺は文明17年(1485年)開基であり、『蓮専寺記』の記録が書き始められたのは明暦3年(1657年)からで、それ以前あるいは開基以前の内容に関しては古くなるほど信頼性が低下し、中世の頃の記録は史料価値が低いとされ、この偽地震は年表から削除されるべきとされる。
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