正平の一統と足利直義の没落
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/04 09:33 UTC 版)
「南北朝時代 (日本)」の記事における「正平の一統と足利直義の没落」の解説
正平6年/観応2年(1351年)には、今度は尊氏が直義派に対抗するために一時的に南朝に降伏。年号を南朝の「正平」に統一する「正平一統」が成立した。これにより、尊氏は征夷大将軍を解任された。 尊氏は正平6年/観応2年(1351年)12月薩埵峠の戦いで弟の直義を破り、足利党を統一した。直義は翌年の2月26日、ちょうど師直の一周忌に急死した。 直義の養子・後継者で、尊氏の非認知子でもある足利直冬は、この後も南朝と連携して、室町幕府・北朝への抵抗を続けた。
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