歌い手という職業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 07:14 UTC 版)
これらの詩の中で描かれている世界では、筆記は実質上知られていなかった(ベレロポーンの物語という1つの小さなエピソードの中で筆記の使用が仄めかされてはいる)――全ての詩は「歌」であり、詩人たちは「歌い手」であった。時代が下り、紀元前5-4世紀になると、叙事詩の実演は「ラプソディア」、その演者はラプソドスと呼ばれるようになったが、これらの語は初期の叙事詩にも同時代の抒情詩にも出現しないので、ヘーシオドスや、『イーリアス』と『オデュッセイア』の詩人(たち)が自分自身をラプソドスと考えていたか否かは分からない(ヴァルター・ブルケルトは、「ラプソドス」というのが本質的に、固定された書かれたテクストの演者であって、創造的な口承詩人ではなかったと主張し、この説は近年の学者の一部にも受け入れられている)。口承叙事詩の作り手たちがどの程度まで専門的な職業であったのかすらも分かっていない。ペーミオスとデーモドコスは、『オデュッセイア』において、叙事詩のみならずそれ以外の題材も歌う記述がなされている。 しかしながら、「アオイドス」という職業が存在したことは間違いない。『オデュッセウス』の登場人物エウマイオスは、歌い手(アオイドイ)、癒し手、予言者、職人は客として歓迎されるであろうが、乞食はそうではないと述べている。ホメーロスによって描かれた世界の外でも、ヘーシオドスが職業的な嫉妬に関する諺という形でこれに似たリストを示している―― 「 陶工は陶工を、大工は大工を憎む。乞食は乞食に、歌い手は歌い手に嫉妬する。 」 —ヘーシオドス(『仕事と日』25-26より) 『イーリアス』と『オデュッセイア』によれば、歌い手たちはムーサたちから霊感を得たのだという。ヘーシオドスは、自身がヘリコン山で羊の番をしていた時にムーサたちに招かれ霊感を授けられ、それによって過去だけでなく未来についても歌うことができるようになったのだと語っている。『イーリアス』におけるタミュリスに関する逸話は、ムーサたちが一度与えたものを取り戻すこともあるのだと示している。他の諸文化でも見られることがあるように、時として盲人が歌い手となることがあった――『オデュッセイア』に登場するデーモドコスは盲目であり、『イーリアス』と『オデュッセイア』の伝説的な創造者であるホメーロスもしばしば盲目であったとされた。 アオイドスたちの歌の聴き手はジャンルや状況によってまちまちである(先述のリストを参照)。『イーリアス』によれば、女たちがラメントに参加し、時として先導した。サッポーの詩の多くは女たちに宛てられており、女性の聴き手を想定していたもののようである。物語詩(叙事詩)に関しては、聴き手は純粋に男性だけであったと言われることがある。これは誇張である(『オデュッセウス』で、ペーネロペーが歌を聞き、また遮る場面がある)が、初期ギリシアでは女性は表に出なかったので、概ねは当たっているのであろう。
※この「歌い手という職業」の解説は、「アオイドス」の解説の一部です。
「歌い手という職業」を含む「アオイドス」の記事については、「アオイドス」の概要を参照ください。
- 歌い手という職業のページへのリンク