欧米の禁酒運動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/15 23:08 UTC 版)
19世紀末から20世紀前半にかけては欧米諸国で社会改善運動や道徳立て直し運動が起こると同時に禁酒運動も盛り上がりを見せた。ヨーロッパでは1829年にアイルランドで禁酒運動団体が発足し、1830年代にはスカンジナビア諸国、スコットランド、イングランドでも団体が発足した。英国では1835年に「全国絶対禁酒教会」が発足、プロテスタント教会が集会を開き、アルコールの代替として紅茶を勧め、紅茶が広まった。19世紀後半にはスイスやドイツ、フランス、ロシアなどでもキリスト教の教職者らによる禁酒団体が成立している。アメリカの13植民地の一つ、ペンシルベニア植民地では、1733年4月24日にショーニー族の"ショーニー・インディアン"という団体による禁酒運動が起きた。これはアメリカで初めて禁酒運動を起こした団体であり、彼らは総督であるパトリック・ゴードン(英語版)に、町にラム酒の樽を持ち込ませる事を禁止する様要請した。結果、ペンシルベニア植民地評議会でこの要請は受け入れられ、4年間の飲酒は禁止となった。また、30ガロン以上のラム酒を町に持ち込んだ場合、相手が白人だろうとインディアンだろうと関係なくラム酒の樽に穴を空けそれを押収する、という結論に至った。アメリカ合衆国では1869年に政党として禁酒党(Prohibition Party)が結成され、大統領選挙では当選の見込みがないにもかかわらず度々20万票台を集めている。1873年にはキリスト教婦人矯風会(Woman's Christian Temperance Union)が発足し翌年には全国的に活動を始め、キャリー・ネイションら熱心な活動家が現われた。
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