欠点の克服、クイックリターンと自動絞り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/29 19:47 UTC 版)
「一眼レフカメラ」の記事における「欠点の克服、クイックリターンと自動絞り」の解説
日本では一眼レフカメラが早くから開発されてきた。これはレンジファインダーカメラの分野ではライカM3など極めて完成度が高いものがすでに存在しており、日本のメーカーがその土俵での勝負を避けて別の方面からのアプローチをしたためだと言われている。 黎明期の一眼レフカメラは「撮影の際にブラックアウトする」「絞り込むとファインダーが暗い」ということが欠点として言われていたが、前者に関しては旭光学工業(現リコーイメージング)が1954年にクイックリターンミラーを装備したアサヒフレックスIIbを、後者に関してはズノー光学工業が1958年に自動絞り機構を装備したズノーペンタフレックスを発売して解決した。1957年には、旭光学工業から世界初のクイックリターンミラーとペンタプリズムを両方搭載したアサヒペンタックスが開発され、特に一眼レフカメラに大きな欠点を感じずに使えるようになった。ズノーペンタフレックスは歴史に名を残したものの故障が多く返品が相次いだと言われるが、1959年ニコンから発売されたニコンFは非常に頑強で、報道の世界からスピードグラフィックとローライフレックスを駆逐する等、業務用としても非常に広く使われた。以後クイックリターンミラー・自動絞りの双方を装備するのが当然となっていった。 広角レンズに関しては当初ミラーアップして装着する対称型レンズのみのラインナップであったが、アンジェニューが発明した逆望遠方式で設計されるようになってからは非常に充実したラインナップを持つようになった。 日本製カメラの攻勢に西ドイツのメーカーもようやく一眼レフカメラの重要性に目覚め、ツァイス・イコンは外部測光式ながら世界初の露出計連動型一眼レフカメラであるコンタレックスを、エルンスト・ライツ(現ライカ)はライカフレックスをやや遅れて登場させたが、登場直後から市場での競争力は不十分であった。結果としてエルンスト・ライツは倒産し、ツァイス・イコンはカメラ事業から撤退した。
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