欠点の露呈と終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/12 09:04 UTC 版)
だが、模刻が広まるにつれ、次第に欠点も明らかになった。模刻は保存性や複製性に優れるが、製作過程で必ず一度は原本からの模写と彫刻を要し、その完成度は作成者の技量に依存する。このため同じ書蹟を模刻しても出来にばらつきが生じ、また複数人の手を経る伝写自体が、途中で誤りを生む要因になる。 また保存性に優れるとはいえ劣化が皆無ではなく、人気のある書蹟は幾度も模刻される。そして模刻の拓本から模刻が行われ、そこからさらに模刻が行われるという模刻の乱発と法帖の乱造が発生し、写本と同様に誤りが累積した。 さらには偽物も横行し、『淳化閣帖』にも既に大量の偽物が紛れ込んでいる。 清代に起こった考証学はこのような欠点を強く指摘し、模刻を繰り返して伝承された法帖よりも、風雪にさらされるながらもある程度元の姿を留めている碑の方が信頼出来ると考えた。 阮元は、北碑と南帖を比較して「北碑南帖論」を著し、北碑を南帖よりも優れたものとして断じ、包世臣など多くの学者がこれに賛同した。この他にも篆書や金文など碑しかなかった時代の書の研究が盛んになったこともあり、清の書道界は碑を学ぶ「碑学」主体となった。 模刻は結果として法帖の価値を損ね、学界の主流から外したものとされ、技術面でも印刷術の発展によって手法自体が時代遅れとなり、自然消滅していった。
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