檀君の名の由来
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 17:26 UTC 版)
檀君王倹という言葉は、もともとは由来の異なる二人の神、檀君と王倹を結び付けたものである。@media screen{.mw-parser-output .fix-domain{border-bottom:dashed 1px}}檀君という名については、「〜君」というのは道教の比較的階級の低い神の称であり「檀の神」であることを表す。[要出典]12世紀に成立した高麗の正史『三国史記』や『三国遺事』が書かれた高麗時代に熱冷ましの薬として檀が大いに持て囃され流行した[要出典]が、この檀は仏教説話に結び付いており、当時仏教の盛んだった妙香山がその信仰の中心地だった。檀は本来インドや東南アジアなど熱帯系の植物で朝鮮には自生しないが、妙香山は今でも香木で覆われた山として有名であり、高麗時代に檀と称して解熱薬とされた[要出典]のはこちらであった。王倹という名についても、平壌の古名として「王険」「王険城」が『史記』朝鮮列伝に出てくるのが初出で、元々は地名であったことが分かる。[要出典]『三国史記』高句麗本紀第五東川王の条には平壌にかつて住んでいた仙人の名前として王倹という人名が出てくる。ただし『三国史記』『三国遺事』が書かれた高麗時代にいわれていた仙人とは、日本でいうようないわゆる山に篭って修行し神通力や長寿を得た人間のことではなく、妖精や妖怪に近いもので「王倹仙人」とは平壌の地霊をいった[要出典]。『三国史記』には檀君という王がいたことは全く書かれていない。 檀君神話には並行する伝承が存在し、夫余の建国神話、及びツングース系の諸民族に伝わる獣祖神話などがある。檀君神話は朝鮮の古来からの独立を示すための創作説話だろうと推測されている[誰によって?]。
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