橋本多佳子とは? わかりやすく解説

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橋本多佳子


橋本多佳子

橋本多佳子の俳句

あぢさゐやきのふの手紙はや古ぶ
いなびかり北よりすれば北を見る
きしきしと帯を纏きをり枯るる中
くらがりに傷つき匂ふかりんの実
この雪嶺わが命終に顕ちて来よ
さびしさを日日のいのちぞ雁わたる
つくるよりはや愛憎や木の実独楽
わが行けば露とびかかる葛の花
オリオンの盾新しき年に入る
一ところくらきをくゞる踊の輪
七夕や髪ぬれしまま人に逢ふ
万緑やわが額にある鉄格子
乳母車夏の怒濤によこむきに
仏母たりとも女人は悲し灌仏会
凍蝶に指ふるるまでちかづきぬ
夫恋へば吾に死ねよと青葉木菟
女の鹿は驚きやすし吾のみかは
寒月に焚火ひとひらづつのぼる
幣ひらひら夜も水口の神います
手をおけば胸あたたかし露微塵
日を射よと草矢もつ子をそそのかす
星空へ店より林檎あふれをり
曇り来し昆布干場の野菊かな
月一輪凍湖一輪光あふ
月光にいのち死にゆくひとと寝る
月光に一つの椅子を置きかふる
母と子のトランプ狐啼く夜なり
毟りたる一羽の羽毛寒月下
火の山の阿蘇のあら野に火かけたる
猟銃音殺生界に雪ふれり
生き堪へて身に沁むばかり藍浴衣
白桃に入れし刃先の種を割る
白炎天鉾の切尖深く許し
硯洗ふ墨あをあをと流れけり
祭笛吹くとき男佳かりける
罌粟ひらく髪の先まで寂しきとき
薔薇崩る激しき水やことの起るごと
蛇いでてすぐに女人に会ひにけり
蛇を見し眼もて彌勒を拝しけり
蝶蜂の如く雪渓に死なばと思ふ
螢籠昏ければ揺り炎えたたす
袋角鬱々と枝を岐ちをり
雄鹿の前吾もあらあらしき息す
雪の日の浴身一指一趾愛し
雪はげし抱かれて息のつまりしこと
雪はげし書き遺すこと何ぞ多き
霧月夜美して一夜ぎり
鶏しめる男に雪が殺到す
鶏頭起きる野分の地より艶然と
鷺打たる羽毛の散華遅れ散る
 

橋本多佳子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/31 07:51 UTC 版)

橋本 多佳子(はしもと たかこ、1899年明治32年)1月15日 - 1963年昭和38年)5月29日)は、日本の俳人。本名、多満(たま)。旧姓、山谷。

杉田久女につき句作を始め、虚子、誓子に師事した。「馬酔木」のち「天狼」同人。女性の悲しみや寂寥を詠み、古雅な中に知的な色彩を与えた。句集に『海燕』(1941年)、『信濃』(1947年)など。

略歴

東京市本郷区龍岡町(現・文京区本郷)出身。祖父は山田流家元の山谷清風、父の雄司は官僚、母は津留。菊坂女子美術学校(のちの女子美術大学)日本画科を病弱のため中退。

1917年建築家実業家の橋本豊次郎と結婚。福岡県小倉市(現・北九州市小倉北区中井浜)に「櫓山荘(ろざんそう)」を建築し移り住んで後、高浜虚子が来遊したことを期に句作をはじめる。杉田久女が俳句の手ほどきをした。 20歳で小倉にて長女・淳子を出産。22歳で次女・国子、24歳で三女・啓子を産む。 1924年樺太北海道北原白秋と共に夫妻で旅行する。同年、四女・美代子(のちの俳人、橋本美代子)を出産。1927年、「ホトトギス」雜詠に「たんぽぽの花大いさよ蝦夷の夏」が初入選。1929年、30歳の時、豊次郎の父・料左衛門の死去にともない大阪・帝塚山に転居する。同年に「ホトトギス」400号記念俳句大会(大阪、中央公会堂)で、久女に山口誓子を紹介される。1935年1月より山口誓子に師事し、同年4月に水原秋桜子が主宰する「馬酔木」の同人となる。1935年5月、豊次郎と上海杭州に旅行。1937年に一家で櫓山荘へ移る。同年、帰阪後に豊次郎が発病し、9月30日に逝去する。享年51。1939年に櫓山荘を手放す。1941年に第一句集『海燕』を発表。1944年に奈良市あやめ池に疎開し、以後はそこに住み続けた。

戦後、西東三鬼平畑静塔秋元不死男らと出会い、戦後俳壇の女流スターとなってゆく。

女性の哀しみ、不安、自我などを女性特有の微妙な心理によって表現した。「白桃に入れし刃先の種を割る」、「ひとところくらきをくゞるおどりの輪」、「乳母車夏の怒濤によこむきに」といった力強い作品も多い。

同時期に活躍した中村汀女星野立子三橋鷹女とともに四Tと呼ばれた。

1963年、肝臓、胆嚢癌により死去。享年64。

櫓山荘跡地は現在「櫓山荘公園」として整備され、建物はないが庭園の遺構や当時の階段などが保存されている。櫓山荘がある櫓山(やぐらやま)は、小倉藩番所があったことに由来する。当時、櫓山荘は小倉の文化サロンとして利用され、さまざまな文化人が訪れた。

著書

  • 第1句集『海燕』(1941年)
  • 第2句集『信濃』(1946年)
  • 第3句集『紅絲』(1951年)
  • 第4句集『海彦』(1957年)
  • 第5句集『命終』(1965年)
  • 橋本多佳子全句集(2018年、角川ソフィア文庫ISBN 4044004129

外部リンク

参考文献

坂口昌弘著『毎日が辞世の句』東京四季出版





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