模倣犯などその後の動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/21 14:50 UTC 版)
「東アジア反日武装戦線」の記事における「模倣犯などその後の動き」の解説
1970年代後半以降、北海道庁爆破事件や神社本庁爆破事件といった「東アジア反日武装戦線」の同調者ないし後継者を称する爆弾闘争が引き起こされたこともあるが、内実が全くないにもかかわらず「東アジア反日武装戦線」を騙り、脅迫行為に及んだ事例もある。例えば、一斉逮捕前の1975年3月に東京都立川市で、小学4年生が誕生日会のいたずらで110番に犯罪予告をし、仲間の小学1年生が「丸の内のオオカミ」と名乗り、逆探知で捕まった事件のような、過熱報道が生み出したと思われるようなものもあった。 犯行グループに対する控訴審判決が予定されていた1982年10月29日に、当時銀座にあった東京南部小包集中局(1990年廃止、新東京郵便局の前身のひとつ)の集配所で小包に隠されていた時限式消火器爆弾が炸裂、取り扱っていた郵便車の運転手の左腕の肘から先が吹き飛ばされ、運転手助手も内臓破裂と全身打撲の重傷を負った。この事件に対し警察は遺留物から「反日武装」の文字が書かれた紙片が発見されたことから、被告人らに同調する極左テロリストによる犯行として捜査した。しかし犯人は見つからないまま時効を迎えた。この事件を知った大道寺は自責の念に駆られ、激しい心労のために下血して病舎に移るという事態に至った。 1985年3月末に国鉄横浜駅近くの複数の大型スーパーマーケットに「プラスチック爆弾で店を爆破する - 東アジア反日武装戦線」といった内容の脅迫状が店内で置かれる事件が発生した。一連の事件では40通置かれたり脅迫電話があったが、金銭を要求するものもあった。神奈川県警察が警戒していたところ、3月30日にニチイ横浜店(当時)の階段や公衆便所に脅迫文を置いていた神奈川県横浜市緑区在住の男子中学3年生を現行犯逮捕した。動機は社会問題になっていたグリコ・森永事件の企業連続脅迫事件に触発され、金銭をゆすり取りとろうとしたものであったが、図書館で知った「東アジア反日武装戦線」の手口も、また模倣したものだという。
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