検死と身元特定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/01 06:54 UTC 版)
「ブラック・ダリア事件」の記事における「検死と身元特定」の解説
ショートの遺体の検死は1947年1月16日に実施され、ロサンゼルス郡の検視官のフレデリック・ニューバー (英: Frederick Newbarr) が担当した。検死報告書には、ショートは身長165センチメートル、体重52キログラム、目は明青色、髪は茶色、歯はひどい虫歯と記されていた。足首や手首、首に結紮の痕跡があり、右の乳房は裂傷により体表の組織が失われていた。右の前腕や左の上腕、胸の左下側でも体表が切り裂かれていた。 遺体は完全に真っ二つに切断されていた。切断に用いられた技術は、1930年代に教えられていた"hemicorporectomy(英語版)"と呼ばれる手法だった。2番目と3番目の腰椎の間を横に切開することで下半身と上半身が分断されていた。つまりは十二指腸の部分で切断されていたということである。切開した線に沿って非常に小さな斑状出血(英語版) (打撲傷) が見られることから、体が切断されたのは死後のことであると示唆されている。これとは別に、臍から恥骨上の部分にかけて縦に108ミリメートルの長さの大きく開いた裂傷があった。顔の両面についた裂傷は、唇の端から右側へは76ミリメートル、左側へは64ミリメートルにまで延びていた。頭蓋骨は挫傷していなかったが、頭皮の前面と右面に打撲傷が見られ、右側のくも膜下で少量の出血が見られた。これは頭を殴打されたときに生じる負傷と一致する。死因は、顔面の裂傷による出血と、頭や顔への殴打によるショックと断定された。また、肛門管が44ミリメートルのところで拡張されており、強姦された可能性が示唆されている。遺体から精液の存在を調査するための試料が採取されたが、結果は陰性だった。 警察は検死の前からすぐに被害者がショートであると特定できていた。当時の初期のファクシミリであるSoundphotoを使ってワシントンD.C.に指紋の複写を送付したところ、1943年に逮捕されたときの指紋と合致したのである。身元特定の後、すぐにウィリアム・ランドルフ・ハーストが所有するロサンゼルス・イグザミナー(英語版)の記者たちがボストンにいるショートの母のフィービに接触した。その際、フィービは娘が美人コンテストで勝ったと聞かされた。記者たちはできる限り多くの個人情報を引き出してから、ようやく娘が実際は殺害されたことをフィービに明かした。ロサンゼルス・イグザミナーは、警察の捜査に協力するためにロサンゼルスへ行く場合の航空料金と宿泊費をフィービに提供した。しかし、それもスクープを渡さないようにするためにフィービを警察や他の記者から遠ざけておくための策略だった。ロサンゼルス・イグザミナーとハーストの所有する別の新聞であるロサンゼルス・ヘラルド・エクスプレスは後にこの事件をセンセーショナルに扱った。ロサンゼルス・イグザミナーのある記事では、黒い男仕立てのスーツを着ていたショートが、最後に目撃されたときは「タイトスカートと透けたブラウス」を着ていたと説明された。このメディアにより、ショートには「ブラック・ダリア」というニックネームが与えられ、「ハリウッド大通りを徘徊する女山師」として描写された。別の新聞の報道でも、ロサンゼルス・タイムズが1月17日に出版した記事のように、殺人事件は「色魔による惨殺」であると報道した。
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