森村組設立まで
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1839年、5代目森村市左衛門と松子の長男・市太郎として江戸京橋白魚海岸に生まれる。7歳で母を失い、13歳で呉服商・笹山宇兵衛の小僧となる。16歳の時に江戸の大火により屋敷・家財を全て失い、五郎兵衛町に転居するも、翌1855年の安政江戸地震に再び焼失したため銀座三丁目に賃居し、震災の片付け人足としての労働の傍ら、夜は銀座で露店を出し煙草入や財布を売った。こうして得た資金により一家はほどなく武具商に戻った。1858年の日米修好通商条約締結による開港を受けて、翌年から横浜で外国人の洋服・靴・鉄砲・懐中時計などを仕入れ、土佐藩・中津藩などに販売を始めた。この時、中津藩の福澤諭吉と知り合う。さらに戊辰戦争期には官軍の総督参謀である板垣退助の軍需品調達を担当し、騎兵用の鞍や軍服を売り財をなした。 明治維新後、この資金を元手に1869年から翌年にかけて大阪城内での養蚕や小樽での網を抵当とした漁師への融資事業、四国での銅山経営などを次々と行ったが、ほとんどが失敗し負債を抱えて破産した。しかし戊辰戦争での関係から帝国陸軍重騎兵用の馬具を製造・販売する工場の経営を始める。フランス軍から製造法を学び、工員が数百人を超えるまでに事業が成長して借金の返済に成功したが、担当の役人に賄賂を要求されたことから馬具製造業をやめたとされる。その後銀座で洋裁店モリムラテーラーを営んでいたが、1876年に異母弟の森村豊がニューヨークへ渡ることを決めたことから匿名組合森村組(現:森村商事)を設立した。
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