桜花賞で30年ぶりの逃げ切り優勝
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/08 23:47 UTC 版)
「レッツゴードンキ」の記事における「桜花賞で30年ぶりの逃げ切り優勝」の解説
3歳になるとチューリップ賞(G3、1600メートル)に出走した。レッツゴードンキはスタートから「押し出されるような形で」先頭に立ってしまい、逃げる格好となった。その結果、最後の直線で失速し、ココロノアイらにかわされて3着に敗れた。 元騎手の安藤勝己は、レッツゴードンキの「行きたがる面」を欠点だと指摘し、その克服が今後の鍵となると評した。厩舎サイドでも、チューリップ賞の敗戦のあとは「後ろで我慢させる」ことを重視した調教を行った。 桜花賞(G1、1600メートル)には重賞を複数勝ったものが1頭しかおらず、キャリアの浅い馬が揃った。その中で3戦無敗のルージュバックが1.6倍の人気を集め、唯一頭重賞を2勝していたココロノアイが7.6倍の2番人気だった。島田明宏は、ファンはルージュバックの優勝で11年ぶりの「無敗の桜花賞馬」が誕生することを期待していたという。レッツゴードンキは出走馬の中では2歳時に最も高いレーティングを獲得していたが、5番人気どまりだった。 レッツゴードンキは2013年頃オーストラリアで開発されたトライアビットという新型の特殊なリングハミを装着して出走していた。これは競走馬の発揮する能力を向上させ、特に先行したがる馬に効果的とされている。調教助手を務める西原玲奈の想定では、本命馬のルージュバックが4、5番手につけ、レッツゴードンキはその直後に控えるレースをするはずだった。騎手の岩田康誠も「後ろから行くという気持ちが95%」だった。発走直前のパドックでも、陣営は後方待機策の打ち合わせをしていた。 しかしレッツゴードンキはチューリップ賞と同様に、スタートから先頭にたった。西原はこれを見て「やっちゃった」と感じたという。岩田騎手は、チューリップ賞では敗れたもののスタート直後の出足が鋭かったことを覚えていて、スタート直後に各馬の騎手が馬を抑え込んでいるのをみて、「とっさの判断」で先手を奪ったという。 ところが、レースは「稀にみる超スローペース」「歴史的なスローペース」となった。重馬場だったチューリップ賞では前半600メートルの通過ラップが35秒9だったのに対し、桜花賞は37秒1だった。一般に桜花賞は極端なハイペースになる傾向があるとされているが、良馬場であったにもかかわらず、先行しようとする馬がレッツゴードンキ以外にいなかったことがスローペースの原因とされている。レース後クリストフ・ルメール騎手(3着)は「funnyなレースだった」と述べた。 極端なスローペースで逃げているにもかかわらず、2番手以降のどの騎手もレッツゴードンキを追いかけようとしなかったため、レッツゴードンキは楽に先行することができた。西原は、スタート直後に先頭に立つまでは馬がハミを噛んで力走していたが、そのあとはリラックスしていたとする。 ペースが遅すぎたために最後の直線に入ってもどの馬にもたっぷりと余裕が残っていた。最後の直線では各馬が激しく追い込みにかかるも、レッツゴードンキにもじゅうぶんな余力があり、後続馬を逆に突き放して、最後は2着に4馬身差をつけてゴールまで逃げ切った。 桜花賞での逃げ切り勝ちは、1985年のエルプス以来30年ぶりとなった。1勝馬による桜花賞優勝としては史上6頭目だった。調教師の梅田智之にとってはこれがJRAのG1競走初優勝となった。馬主の廣崎利洋にとっては馬主歴28年目にして初めてのG1競走優勝となった。ふだんとは違い、馬主席ではなくコース目の前のフェンス際で観戦しており、優勝直後は周囲のファンに囲まれて祝福されたという。騎手の岩田康誠は2012年のジェンティルドンナ以来の桜花賞優勝だった。
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