桑田真澄に関する記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 05:43 UTC 版)
「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」の記事における「桑田真澄に関する記述」の解説
宣伝効果を見込んだ桑田への接触は、PL学園時代の1985年春からだという。同著によると、桑田のプロ入り後も接待を続けた中牧が、桑田プロ1年目の1986年オフに「もう待てない」と自社製品を使うよう迫ったところ、桑田に「昭ちゃん。裏金で月に二十万くれたら、使ってもいいよ。それもノータックスだよ」と言われ、裏金を渡し始めたとしている。また、1987年には「裏金を二十万から三十万にしてくれないか」と言われ、裏金が値上げされたという。1987年11月、カドヤスポーツは桑田と2年500万円で正式契約を結ぶものの、桑田の要求は「本契約以外に、裏金で五百万円ほしい」「裏金を一千万円にできないか」「車がほしい。ソアラがいい」「やっぱりクラウンがいい。クラウンのロイヤルサルーンだ」とエスカレートしていった様子が書かれており、同著にはクラウンの注文書が写真付きで掲載され、クラウンは桑田の姉のものとなった旨が書かれている。ほかにも桑田に渡したものは「高級腕時計は十個以上、ゴルフクラブは五、六セット。百万円はする高級背広など、数え切れない」という。また中牧が退職する時も「そうか、おまえは、辞めるのか。辞めてもいい。ただし、裏金だけは寄こせ」と言われたという。 また裏金以外にも桑田の女性関係について書かれており、ドラフト前に桑田が一週間くらい東京に滞在した際「ソープランドへ連れて行ってほしい」と毎日のようにソープランドへ連れて行かされ、そのために中牧が自腹を切ったり、プロ入り後はあまりに頻繁となったため会社の経費で落としたりしたという。また桑田がプロ2年目に活躍すると呼び捨てになり「昭二、コンドームを買ってこい」とコンドームを買いに行かされたり、宮沢りえと会う際も「りえちゃんにグラブをプレゼントしたいから一日でなんとか作れ」として作らせ、宮沢と会う直前に時間があったのでソープランドに連れて行かされた旨が書かれている。それ以外にも1988年1月5日に六本木ディスコ照明落下事故の瞬間に中牧と偶然立ち会っていた桑田が、同席していたアイドルの手を取り駆け出して、その後彼女を連れ、全日空ホテルのスウィートルームへ逃げ込んだという記述がある。 ほか、中牧が清原和博に関して桑田から聞いた話として(ドラフト時)「ザマアミロと思ったね。(中略)ぼくが一位指名されるのはわかっていたから、いまに泣き面が見られるぞと楽しみにしていたんだ」、「ぼくが入団発表をする日、あいつのお母さんがぼくのお母さんに厭味の電話をしてきたんだ。あそこは、どうもそういうところがある。父兄会のときだって、うちのお母さんはあいつのお母さんにいじめられたんです」、(桑田が2年目に活躍した後)「あいつのことをすごいと言うけど、何かタイトルを取ったのか。あいつにぼくのことを言う資格はない。タイトルを取ってから、ものを言えっていうんだ」という内容も載っている。
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