桑田真澄以外に関する記述
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/10 05:43 UTC 版)
「さらば桑田真澄、さらばプロ野球」の記事における「桑田真澄以外に関する記述」の解説
水野雄仁に関しても1章を割いて書かれており、桑田同様裏金や車や時計を送っていた話、引っ越しを手伝わされた話が書かれている。 他にも当時読売ジャイアンツ二軍監督でカドヤスポーツとアドバイザリー契約を結んでいた須藤豊(出版時は横浜大洋ホエールズ監督)とその一派の凄まじい“たかり”についても書かれている。具体的には、須藤自身には「ゴルフコンペの賞品が要るんだよ。わかるだろ、俺の立場、言わなくたってわかるよな」などと持ちかけられ、必ず年3回、1回につき150枚近くのゴルフウェアを持っていかれ、ほかにも須藤の義父へのゴルフシューズや須藤の知り合いの息子への野球道具なども送らされたという。須藤の周辺でカドヤスポーツと契約を結んでいた選手らについては、高価なゴルフクラブセットを送らされた福王昭仁に野球では他のメーカーのグラブを使われていた話、用具の面倒を見てきた山崎章弘や藤本健作・健治親子にもミズノに乗り換えられた話が書かれている。その他、契約を交わしていない上田武司、関本四十四、末次利光らのコーチや樋沢良信スコアラー、渡辺一雄管理部長から、須藤の名前を出されて、家族全員の衣類やゴルフクラブを送らされたり商品を持って行かれたりした話が書かれている。その中で鹿取義隆だけは「須藤さんのように、品物をただでもらうなんて嫌いだ」と言って金を払ったといい、中牧は「それは世間ではまったく当たり前の光景なのだが、私は嬉しくてたまらなかった」と書いている。
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