柳川鑑定
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柳川助教授の再鑑定書は1991年(平成3年)5月17日に完成した。鑑定書は、統計的鑑定法の考え方についての総論と、この観点から具体的に科警研の毛髪鑑定の誤りを指摘する各論部分からなり、結論として「あらゆる点において、本件において採用された毛髪鑑定法は、信頼性ある科学的根拠をもった鑑定とはいえない」と断言するものであった。弁護団は、この再鑑定書を5月23日の控訴審第8回公判に証拠として申請し、6月25日の第9回公判では柳川助教授の証人尋問が行われた。 柳川助教授は鑑定書と証言で、まず、被告人の毛髪のサンプルが少なすぎて被告人の毛髪の特徴自体が明確になっていないこと、科警研の形態学検査は鑑定人の経験に依存しており科学的とは言えないことを指摘した。 分析化学的検査としての元素分析については、事件現場で採取された毛髪と被害者・被害者の姉・輿掛の毛髪の塩素・カリウム・カルシウムの含有量を比較して輿掛と同程度であったと鑑定したものであるが、各人のデータには幅があり、しかも被害者の姉と輿掛の数値は大部分が重なっていることを示し、本来、この重なりあった部分は「鑑定不可能領域」であり、事件現場で採取された毛髪の数値がこの領域にあれば被害者の姉のものとも輿掛のものとも判定できないものであると指摘した。それにもかかわらず、科警研の毛髪鑑定で事件現場で採取された毛髪のデータが輿掛のデータと一致したと判断しているのは失当であり、そもそも人の毛髪はほとんどの人で元素含有量のデータは大部分が重なるものであるから3人の毛髪だけと比較しても全く意味がないと主張した。形態学検査も含めて、科警研の毛髪鑑定は、事件現場で採取された毛髪と被害者・被害者の姉・輿掛の3人の毛髪としか比較しておらず、事件現場で採取された毛髪が3人以外のものである可能性を全く考慮していないとし、これは、3人の中に犯人がいるという前提に立たなければ有効ではなく、方法論からしてすでに致命的欠陥を抱えた、結論ありきの鑑定であると非難した。そして、最終的に、科警研の毛髪鑑定は「科学の名に値しない」と切って捨てた。 これに対して検察側は、7月24日付で科警研で毛髪鑑定を実施した科警研の技官の反論書を提出し、8月1日の第10回公判では柳川助教授に対する反対尋問を行ったが、反論書は柳川教授の指摘に正面から答えるものではなく、検事による反対尋問も的外れな質問を繰り返しては前田一昭裁判長からたびたび注意を受けるありさまであった。
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