柳川藩主立花氏
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立花宗茂は関ヶ原の戦いで西軍に参加したため(大津城攻めのため本戦には参加できなかった)、所領を没収され流浪したが、1604年に徳川氏により取り立てられ、1606年、陸奥国棚倉で1万石を与えられて大名に返り咲いた。その後、大坂の陣でも戦功をあげ、1620年、関ヶ原の戦い以降に筑後柳川32万石を支配していた田中氏が絶家したのをきっかけに柳川10万9千石を与えられ、旧領に戻った。関ヶ原で改易された武将が再び「大名」として復活できた例は少なく、その中でも旧領に戻ることができたのは立花宗茂ただ一人である。 江戸時代の立花氏は柳川藩主として明治維新まで続き、維新後は華族に列して伯爵を授けられた。現在の立花家は、柳川市の自邸立花氏庭園(松濤園)を改装した料亭・旅館・宴会場「御花」を経営している。 3代藩主立花鑑虎の同母弟、立花貞晟(弾正)は旗本寄合席となって旗本立花弾正家を分立したが、2代目で養嗣子の清直(後の貞俶)が藩主家を相続したので絶家、本藩吸収となった。 柳川守
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