西軍に参加
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 02:07 UTC 版)
戦況の進展により、仁和寺宮は長岡を経て、13日三条に到着。ここで直正は帰藩を許される。以後の先導は溝口半兵衛が務め、このときまでに降伏していた三日市、黒川両藩主も新潟から御供をした。東軍の一員として参加していた溝口半左衛門隊は8月1日、三条で降伏。半左衛門は見附で謹慎を命ぜられ、新発田兵は西軍の一員となる。江戸にいた新発田兵400人余も帰藩を許され、8月11日江戸を発った。宮を迎えて、越後口の本営は柏崎から新発田へ移った。
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