柏原家
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柏原家は加藤清正家臣柏原郷右衛門を祖とする家系で、寛永期或いは正保2年(1645年)に初代三右衛門が京問屋町五条下ル三丁目橘町西側(現京都府京都市東山区西橘町)に柏屋を創業した。当初は京小間物、扇子を商ったが、後に木綿問屋となり、蝋燭や雪駄も扱った。天和・貞享期には黒江屋と同じ江戸本町四丁目に出店し、いわゆる江戸店持京商人となった。二代目孫左衛門、三代目助右衛門と続き、享保4年(1719年)弟の四代目孫左衛門光忠は五代目那波屋九郎左衛門祐英の四女里代を娶り、妻と共に経営を拡大した。 安永3年(1774年)に同じ本町四丁目の塗物問屋黒江太兵衛、天明元年(1781年)に新両替町四丁目(現銀座四丁目)の紙問屋松坂屋半右衛門の経営権を手に入れ、江戸三店体制とした。当主柏原孫左衛門は依然として京に居住し、売上も毎年京に送られたが、別家制度により江戸店の番頭も分家として一定の権限を与えられた。江戸店は寛政年間の呉服太物問屋の長者番付では東の大関に列せられている。 明治になると木綿販売は時代遅れとなり、九代目孫左衛門は明治17年(1884年)7月1日、東京に神戸製紙所(現三菱製紙)の一手販売代理店を開いた。大正13年(1924年)株式会社柏原洋紙店、昭和50年(1975年)柏原紙商事株式会社を経て現在に至る。 代々柏原家が京都で居住していた屋敷は宝暦13年(1763年)築のものが天明の大火を免れて現存し、江戸時代の商家の様子を今に伝えている。昭和49年(1974年)より『洛東遺芳館』として年2回一般に公開されている。同館には享保21年(1736年)1月の「家内定法帖(帳)」、宝暦5年(1755年)の「条目」、明治16年(1883年)1月の「店定法示合心得書」などの家訓、享保15年(1730年)から明治22年(1889年)までの決算簿や沽券図などが伝わっている。
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柏原家
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「偽りの花園 (テレビドラマ)」の記事における「柏原家」の解説
柏原月子(演:中島陽子) 早瀬川家の友人。栄子の出産を偽装するために赴いた先の軽井沢で、美禰子や栄子と交際していた。(第2部) 柏原康夫(演:久ヶ沢徹) 月子の夫。妻の尻に敷かれている。(第2部)
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