柏レイソル時代
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静岡県清水市(現:静岡市)出身。静岡学園高校では3年時に第80回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。 2002年に柏レイソルとプロ契約。2年目の2003年からセンターバックのレギュラーに定着し、2003 FIFAワールドユース選手権にU-20日本代表のメンバーとして参加。その後、20歳にしてA代表に初選出された(出場はなし)。 2005年3月19日のナビスコ杯、対FC東京戦において、相手FWのルーカスとの接触により負傷。左膝前十字靭帯断裂で全治8ヶ月の重傷を負い、シーズンの大半を棒に振った。シーズン終盤の11月に実戦復帰したが、永田の不在もあって低迷していた柏は、J1・J2入れ替え戦でヴァンフォーレ甲府に敗れ、J2へ降格した。
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柏レイソル時代
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2013年1月5日、柏レイソルへの完全移籍が発表された。J1第17節清水エスパルス戦で移籍後初得点を記録したが、これはJ1リーグ戦の通算17000ゴール目となるメモリアルゴールであった。7月25日、東アジアカップ2013オーストラリア戦で国際Aマッチ初出場。 2014年10月5日、怪我により辞退した昌子源に代わり、約1年ぶりに日本代表に追加招集された。 2016年1月15日、柏レイソルを退団することが発表された。
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柏レイソル時代
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2009年、工藤、比嘉、山崎、武富、仙石と共にトップチームへ昇格。同年6月、武富と共にサンパウロ州選手権1部・モジミリンECへ留学した。モジミリンでは右サイドバック、センターバックとしてプレーし、特に守備面で大きな経験を得たが、11月の帰国後も公式戦出場は叶わず、J2降格の憂き目に遭った。 2010年、J2第11節ヴァンフォーレ甲府戦で公式戦初出場。J2第32節水戸ホーリーホック戦で公式戦初得点を記録した。主にレギュラー不在時のバックアッパーとして、リーグ戦9試合に出場し、クラブも1年でJ1へ復帰した。 2011年、右サイドバックとしてプレーした練習試合で2アシストを決めたことがきっかけとなり、J1第7節大宮アルディージャ戦に先発出場。それまではセンターバックの選手と見做されていたが、右サイドでレアンドロ・ドミンゲスと強力なコンビを形成してレギュラーに定着すると、一気に大ブレイク。同年5月、U-22日本代表に初選出され、10月にはA代表にも初選出された。最終的にリーグ戦27試合に出場し、Jリーグ史上初となる昇格初年度でのJ1優勝を達成。Jリーグベストイレブン、Jリーグベストヤングプレーヤー賞を同時受賞した。2011 FIFAクラブワールドカップでも全4試合に出場し、サントスFC戦で得点を記録。同監督のムリシ・ラマーリョから称賛を受けたほか、FIFA公式サイト上で茨田陽生と共に「柏の誇るヤングスター」と紹介された。 2012年、前年の活躍により、FIFA公式サイト上でチアゴ・アルカンタラ、ユリアン・ドラクスラーらと共に「2012年注目の若手選手13人」として取り上げられ、ボルシア・ドルトムントなど7、8の海外クラブから獲得オファーが舞い込む争奪戦となったが、最も獲得に熱心だったドイツ・ブンデスリーガのハノーファー96への移籍を決断。柏でのラストゲームとなったJ1第16節ガンバ大阪戦を6-2の圧勝で締め括り、ドイツへ渡った。
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