松林図をめぐる諸説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/22 06:09 UTC 版)
右隻の右2扇分と左4扇分との間、左隻の右3扇分と左3扇分との間に紙継ぎのずれが見える点、普通この程度の大きさの屏風は縦5枚継ぎだが、右隻は6枚継ぎでしかも上下端の紙がごく小さい点、通常の屏風絵に使われる頑丈な雁皮紙ではなく、きめの荒く不純物が混じった薄手の料紙を用いている点、右隻と左隻の紙幅に2センチも差がある点などから、元々はもっと大きな絵で、完成作でなく下絵、特に障壁画制作のための図案として描かれていた可能性が指摘されている。確かに完成作では考えられないような、墨が無造作に撥ねた痕跡が画中のあちこちにあり、枝先や根元には紙を垂直に立てて描いたためであろう墨溜りができている。しかしその反面、下絵では普通使わないであろう最高級の墨が使われている事も指摘されている。また、実際に屏風を立てて観察すると、屏風が奥へ折り曲げられている箇所では樹木も奥に向かい、手前で折られている部分では、松樹は濃墨で描かれ奥になるほど淡墨になる、といった屏風絵として鑑賞されることを想定しなければ不可能な工夫が凝らされている。 試しに継ぎ目を元の状態に戻すと、左隻の右1扇目上部の山から緩やかな三角形をえがいた安定のよい構図にまとまる。更に、左隻3、4扇目やや下の斜めに傷のように走る線がほぼ繋がるようになり、ちょうど対辺延長上の両端に落款が押されている。しかし今度は、左隻下の地面を表す薄墨が大きくずれ、現状の作品がもつリズム感が失われてしまう。また、この落款は基準印と異なる事から、後に押された可能性が高い。これを説明するため、元々この間に現在は失われた1、2扇があったとする案や、元は屏風の左右が逆で、左隻左端中程にわずかに覗く枝の先端部が右隻右端の松の延長部分とする仮説などが提出されている。 1997年(平成9年)には、松林図屏風と酷似した作品が発見されており(「月夜松林図屏風」個人蔵、京都国立博物館寄託)、等伯にごく近い絵師が本作を模倣したものと推定される。この屏風の出現により、制作後余り時を経ない時期(桃山時代末、慶長年間後半か?)に、長谷川派内で表装されたことが明らかとなった。また、派内で押印した場合、当然正印が用いられるはずであるから、以前から指摘されていた偽印説は裏付けを得たことになる。
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