東55系統
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/29 00:41 UTC 版)
(105・105甲→)東55:志村橋 - 志村車庫前 - 大和町 - 板橋区役所 - 板橋駅通り - 滝野川五丁目 - 西巣鴨 - 巣鴨駅 -駕籠町(千石一丁目)- 白山上 - 東大正門 - 本郷三丁目 - 御茶ノ水駅 - 神田錦町 - 大手町 - 東京駅北口(東都乗合自動車→国際興業志村営業所と共同運行) (都電41→)都電代替:志村橋 - 志村車庫前 - 大和町 - 板橋区役所 - 板橋駅通り - 西巣鴨 - 巣鴨駅 (都電18→)105乙:志村車庫前 - 志村坂上 - 大和町 - 板橋区役所- 滝野川五丁目 - 西巣鴨 - 巣鴨駅 - 千石一丁目 - 白山上 - 文京区役所 - 神保町 - 一ツ橋 この系統は国際興業との共同運行で東京駅まで乗り入れていた105系統と、都電志村線18系統・41系統の代替という2つの出自を持つ。 105系統は1947年(昭和22年)6月、104系統と同時に運行を開始。最盛期には戸田橋を渡って埼玉県内に入り、浦和駅(1950年4月~1966年5月)もしくは蕨市の蕨操車場(1966年5月~1969年9月)まで運転されていた。 都営地下鉄6号線の着工に伴う都電志村線の先行撤去を受け、1966年(昭和41年)に都電代替系統が新設された。 あくまでも地下鉄開業までの暫定的な運行とされたために系統番号は付与されなかったが、105系統グループのひとつと位置づけられる。地下鉄開通後の1968年(昭和43年)12月31日限りで運行を終了した。 「都営地下鉄三田線#建設経緯」および「都電志村線#歴史」も参照 105乙系統は翌1969年(昭和44年)1月1日から運行され、かつての都電18系統の経路をほぼ踏襲するルートであった。本系統の新設に伴い、従来の105系統は「105甲」系統に改称された。しかし1972年(昭和47年)に都営地下鉄6号線の巣鴨以南が開業したことで完全並行となり、105乙系統は同年廃止。105甲系統は同年11月「東55系統」に改称されたが、交通局第2次再建計画に伴う追加の路線再編成により、1978年(昭和53年)10月31日限りで廃止された。
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