東武バスの生い立ち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/29 16:08 UTC 版)
東武バスの歴史は、昭和初期に東武鉄道が2本建ての経営形態によりバス事業を開始したことに始まる。その一つは、1933年に傍系会社として毛武自動車を設立し、群馬県や埼玉県北部でのバス事業を開始した。もう一つは、翌1934年4月1日に東武鉄道本体が埼玉県川越地区において直営の路線バス事業を開始したものである。以後、おおむね東武本線沿線は毛武自動車、東武東上線沿線は直営によってバス路線の拡張が進められることとなるが、関東地方では他の大手私鉄と比べるとバス事業開始の時期が遅かったため、既に沿線には多数の中小バス事業者が乱立しており、事業の拡張は主にそれらの買収・合併により進められた。 毛武自動車は当初、群馬県太田に営業所を置き、太田や桐生、埼玉県の熊谷周辺に路線を有していたが、創業から1年が経った1934年には早くも両毛回進社、東毛自動車、毛武遊覧自動車の3社を合併し、事業規模を拡大した。さらに周辺事業者の買収を行い、1935年には群馬県北部における営業を本格化するため前橋営業所を設置。翌1936年に騎西自動車、野州自動車等を買収し、加須(埼玉県)や栃木、渋川(群馬県)に営業所を新設した(前橋は渋川の出張所となる)。これらの買収により事業区域が毛武地方外にも拡大したことから、1936年9月に社名を東武自動車と改めた。 東武自動車は1937年、奥日光自動車、赤城山自動車、坂東自動車を合併し、利根地方に路線を拡大するとともに沼田営業所を設置した。また同年には、桐生市内線等を運営する桐生市街自動車も合併し、両毛地方の桐生、伊勢崎、館林にも営業所を開設した。 一方、川越地区において開業した東武鉄道の直営バスも、その後徐々に周辺事業者の買収を繰り返し、成増や埼玉県の越生、松山、草加周辺等へと路線網を拡大していた。1939年に東武鉄道の直営バス事業を東武自動車が引き継ぐことでバス事業の一元化が図られることとなり、旧:東武直営バスの車庫は川越営業所、草加営業所となった。さらに同年、傍系会社の京水モーターバス、埼玉自動車、英自動車の3社を合併、それぞれの事業を南千住、熊谷、下館の各営業所を設置して継承した。
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