東京禁酒会とは? わかりやすく解説

日本禁酒同盟

(東京禁酒会 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/08 15:59 UTC 版)

一般財団法人日本禁酒同盟(にほんきんしゅどうめい、英名:Japan Temperance Union)は、酒害に関する知識を普及し酒害の予防及び酒害者の救済を目指す団体。元文部科学省所管の財団法人


注釈

  1. ^ 機関紙『反省会雑誌』が『中央公論』に発展することで知られる。
  2. ^ 幕臣で、箱館戦争に参加し投獄された経歴を持つ人物であるが、新政府に登用されて外交官となった。
  3. ^ 1868年以来移民が行われる。1886年1月に日布渡航条約が締結され、いわゆる「官約移民」が始まる。
  4. ^ 逓信大臣榎本武揚日本郵船社長森岡昌純からの贈り物であった。
  5. ^ 福田基督教会(現在の日本聖公会福田教会)を中心に設立された。
  6. ^ 役員として中川永輝(通信書記)、池田次郎(記録書記)、土井操吉(会計)、潮田ちせ(女子部通信)、佐々城とよ寿(会計)を定めた[4]。安藤は当初は一委員であった[3]:22
  7. ^ 美以はメソジストの意。
  8. ^ 青木庄蔵もキリスト教徒である。評伝として(牧野虎次 1928)がある。
  9. ^ 日本禁酒同盟会発足時の総副会長の一人。人名事典類では同盟の顧問と紹介されることが多い[8]
  10. ^ 「日本国民禁酒同盟は第二次世界大戦後は解散してまた各種団体に分かれた」とする事典もある[7]
  11. ^ 教会堂は1917年に献堂された[9]
  12. ^ 1934年(昭和9年)から1940年まで日本国民禁酒同盟の理事を務めた[3]:15

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 小塩完次記念 日本禁酒同盟資料館”. 日本禁酒同盟. 2019年12月10日閲覧。
  2. ^ a b (一財)日本禁酒同盟の目標”. 日本禁酒同盟. 2019年12月10日閲覧。
  3. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad 後藤新「近代日本における禁酒運動 ─1890年東京禁酒会の設立まで─」『法政論叢』第55巻、2019年、2019年12月10日閲覧 
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab 日本禁酒同盟のあゆみ”. 日本禁酒同盟. 2019年12月10日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 後藤新「一般財団法人日本禁酒同盟より寄贈された資料について」『武蔵野大学政治経済研究所年報』第18巻、武蔵野大学政治経済研究所、2019年、155-170頁、ISSN 2185-2170NAID 1200066223502023年1月20日閲覧 
  6. ^ a b c 世界大百科事典内の日本国民禁酒同盟の言及”. 世界大百科事典 第2版(コトバンク所収). 平凡社. 2019年12月10日閲覧。
  7. ^ a b 梶龍雄. “禁酒運動”. 日本大百科全書(ニッポニカ)(コトバンク所収). 小学館. 2019年12月10日閲覧。
  8. ^ 根本正”. 20世紀日本人名事典(コトバンク所収). 日外アソシエーツ. 2019年12月10日閲覧。
  9. ^ 安藤記念教会”. 港区ゆかりの人物データベース. 港区. 2019年12月10日閲覧。


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東京禁酒会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:41 UTC 版)

日本禁酒同盟」の記事における「東京禁酒会」の解説

1889年7月時点で、日本には大小63禁酒団体があり:18この中には矢島楫子東京婦人矯風会蓊の横浜禁酒会第三次)、伊藤一隆らの北海禁酒会北海道)、吉植庄一郎らの北総禁酒会千葉県。のちに全国組織の必要を訴え自ら「帝国禁酒会関東支部」と改称:20)、高楠順次郎らの反省会京都)などが含まれる:18国家文明化を果たす上で国家的禁酒」が必要であるという考え方や、個々人利益もたらす家族的禁酒」の考え方、あるいは禁酒通じた社会改良運動の側面は、キリスト教徒限らない人々禁酒運動受け入れられることにつながった:19-211890年明治23年)には、WCTUから2人目の遊説員としてジェシー・アッカーマン (Jessie A. Ackermann) が日本訪れた:221890年明治23年)年3月28日築地にあったメソジスト教会において:22アッカーマン触発され佐々城豊寿潮田勢子ら(日本キリスト教婦人矯風会創立メンバー)を中心として東京禁酒会が発足した当初、東京禁酒会は代表者置かず集団指導体制としていた。 1890年明治23年5月第1回大日本禁酒同盟会」が3日間の日程で、東京地学協会会館(東京禁酒会の事務所置かれていた)において開催された:23アッカーマン来日以前佐々城と潮田津田仙1887年に『酒の害』を刊行し積極的な禁酒演説行っていた)とも相談し横浜禁酒会帝国禁酒会関東部・北海禁酒会連絡をとって代表の上京を要請:23上京した代表たちは、毎年1回の「全国禁酒同盟会」の開催決議していた:23第1回大日本禁酒同盟会」は東京禁酒会を幹事として、上記禁酒団体メソジスト教会宣教師らの参加得た:23。なお、同時期に北海道で、北海禁酒会仏教青年会合同で「禁酒演説会」を開催している:231890年明治23年11月、東京禁酒会は総会安藤太郎会長に、根本正副会長選出した

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