安藤太郎とハワイの禁酒会とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > 安藤太郎とハワイの禁酒会の意味・解説 

安藤太郎とハワイの禁酒会

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 04:41 UTC 版)

日本禁酒同盟」の記事における「安藤太郎とハワイの禁酒会」の解説

のちに東京禁酒会会長日本禁酒同盟会会長となり、日本禁酒同盟の「初代理事長」に位置づけられる安藤太郎1846年 - 1924年)は外交官である。安藤4,5歳の頃から酒を飲みはじめたかなりの鯨飲家であり、このため文子夫人が相当に苦労した伝えられる1886年明治19年)、安藤ハワイ王国総領事として赴任した当時ハワイ日本人移民社会荒んでおり、飲酒溺れる者少なくなかった:21安藤日本人社会模範を示すべく禁酒をすることがよいことであると理解しつつ、踏ん切りがつかなかったという。 ハワイ日本人社会の状況聞いたサンフランシスコメソジスト教会牧師美山貫一ハワイ移り日本人移民の生活向上に尽力する:21文子美山貫一から米国禁酒運動について話を聞き禁酒は可能であり、また米国には一生禁酒を貫く人がいることを知る。1887年明治20年12月文子夫人は、安藤のもとに届いた2日本酒処分(「割り」と称される)。安藤もこれを好機として禁酒をすることにしたという。なお、美山影響を受け、安藤夫妻をはじめ領事館館員全員受洗する:211888年明治21年4月安藤ハワイで「在布哇日本人禁酒会」を設立した:21。この会は当時ハワイ在住日本人6300人余の約1/3、2000人余の会員擁することとなり、その成功日本国内広く知られることとなった:221889年明治22年10月安藤夫人病気療養のために日本に帰国:22横浜禁酒会など各地禁酒会:21迎えられ禁酒演説行ったが、「平民的軽妙な弁舌」と評される演説上手であり、禁酒運動カリスマ的指導者になっていった:22

※この「安藤太郎とハワイの禁酒会」の解説は、「日本禁酒同盟」の解説の一部です。
「安藤太郎とハワイの禁酒会」を含む「日本禁酒同盟」の記事については、「日本禁酒同盟」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「安藤太郎とハワイの禁酒会」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「安藤太郎とハワイの禁酒会」の関連用語

安藤太郎とハワイの禁酒会のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



安藤太郎とハワイの禁酒会のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの日本禁酒同盟 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS