東北部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2014/10/07 22:55 UTC 版)
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東・北部
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 02:10 UTC 版)
多摩川と多摩丘陵(南山(みなみやま)と呼ばれる)にはさまれた地域。南武線や川崎街道、南多摩尾根幹線(鶴川街道)、京王相模原線が横断し、市の中心部を形成する。もともとは多摩川の氾濫原であり、平坦な地形である。南山の際には川崎市麻生区黒川を水源とする三沢川が流れている。古代から稲作が行われてきた地域で、江戸期には大丸用水が開削されている。大丸から多摩市連光寺に通じる斜面では奈良時代、武蔵国分寺に使用する瓦を焼いており、窯跡が発掘されている(瓦谷戸窯跡)。鶴川街道の拡張など急速に宅地開発が進んでいるが、広々とした敷地に古格のある土蔵が建っている古くからの農家もまだまだ残っている。 市内の多摩丘陵は南山(みなみやま)と呼ばれ、新宿から30分という近さにも関わらずタヌキ、オオタカなど豊かな自然が残る大規模な里山として知られているが、その東側は現在、区画整理組合方式による宅地開発が行われている。ただし、これに反対する意見も根強い。 矢野口(やのくち) 一部が神奈川県川崎市多摩区菅仙谷への飛び地となっている。 押立(おしたて) 東長沼(ひがしながぬま) 近世には長沼村と呼ばれていた。明治になって南多摩郡が設置された時、郡内にもう一つ、現在の八王子市長沼町も「長沼」という地名だったため、東にある長沼ということで東長沼と改称された。 大丸(おおまる) 百村(もむら)
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