条例制定に反対する意見・動き
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「暴力団排除条例」の記事における「条例制定に反対する意見・動き」の解説
2011年10月1日、司忍(山口組組長)は産経新聞の取材に応じ、一般の事業者にも暴力団との関係遮断の努力義務が課された都条例について、「異様な時代が来た」と批判した。 2012年1月24日、参議院議員会館地下1階103会議室において、暴力団排除条例の廃止を求め暴対法改定に反対する記者会見が開かれた。青木理(ジャーナリスト)、佐高信(評論家)、鈴木邦男(一水会最高顧問)、田原総一朗(ジャーナリスト)、辻井喬(詩人)、西部邁(評論家)、宮崎学(評論家)が会見に出席した。 2012年3月3日、ベルサール西新宿において講演会「暴排条例・暴対法がもつ<危険>」が開催された。辻井喬が「表現の自由が脅かされるとき―詩人の立場から」という題で、西部邁が「水清ければ魚棲まず」という題で講演を行なった。宮崎学が司会を務めた。 雑誌『表現者』2012年3月号に「暴排令的思考を排せ」が掲載され、以下のような主張がなされた。 暴力団排除条例にかかわる法律が成立しようとしている。これからは、暴力や暴力団の定義がこれまで以上に警察官僚の(恣意をまじえた)判断にゆだねられ、その勝手に決められる意味での暴力にポジティヴにかかわる行為はきれいさっぱり日本列島から駆除されることになるのであろう。たとえば、暴力に関与せざるをえない者の運命的な哀しさ、といった心情を描き出す言論や文筆も排除される成り行きとなる。 「水清ければ魚棲まず」の喩えを引いて、暴力を(プランクトンめいた)社会の活性源とみなすのは暴論かもしれない。しかし、人間には暴力(不法の物理的力)に向かう傾向が多少ともあるという事実、そしてその傾向の強い者たちが社会に一定程度いるという事実は消去することができない。そういう者たちを囲い込んで、彼らに一定の秩序を与えるのが暴力団(といわれている組織)の一つの存在理由であった。警察庁はそういう者たちをどこに追い込むのか。窮鼠猫を嚙む、の喩えもあるのである。 — 「保守放談 暴排令的思考を排せ」『表現者』2012年3月号、111頁 2012年4月、辻井喬・西部邁・宮崎学・下村忠利が著書『あえて暴力団排除に反対する: おかしいぞ! 暴力団対策』(同時代社)を公表。 溝口敦は「情けないのはヤクザの側ともいえる。法的に突っ込みどころのある暴排条例に反論するような理論武装ができなくなっている」と事実上皮肉を込めて発言している。
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