村上市羽黒町 體真山満福寺に残された作品とは? わかりやすく解説

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村上市羽黒町 體真山(たいしんざん)満福寺に残された作品

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/20 06:30 UTC 版)

山本又五郎」の記事における「村上市羽黒町 體真山(たいしんざん)満福寺残され作品」の解説

前述のとおり、満福寺山本家菩提寺となっており、代々から多く作品保管されている。第14代一栄の鋳造した梵鐘戦争中応召したものであったが、戦後長岡市で見つかるも当時交通手段がなく引取り行った時には間に合わず亡きとなっていたものである。満福寺梵鐘損壊してしまったが、梵鐘鏡面銘文紹介する。 體真山満福寺 喜捨小国町 細野二 庄内鈴木熊八斉藤新蔵 坪根高橋助蔵 鋳師 辻村五郎文化十二乙亥四月吉祥日新潟県下で供出されたの梵鐘などは1700余個、今やその略歴印刷頒布する所以のものは、以て国民の心田に稗補(はいほ)するあらんと欲してのことに他ならぬ同様に代々の又五郎鋳造した梵鐘雲版など応召され、残されているものはすくない。 観音像頭部 満福寺 観音像 頭部 満福寺 雲版 山本自爐作 (天女冨士美園飯島氏寄贈 満福寺庭園 第十六代大椿が鋳鋳した観音菩薩像で、戦時中混乱期に、頭部土中埋め応召免れ保存されていたため、現存したものである。 なお、満福寺観音菩薩像とは別と考えられるが、同様の観音菩薩像鋳造している。 「像は故山田鬼斎の模刻係る南都薬師寺 東院堂聖観音菩薩像を模刻し、蓮台は高さ3寸5部、高さ基底にて垂一寸延へ、直垂三尺一寸となし、内像の高さ6尺4寸とし、重量百貫内外見込青銅色に仕上り候ものとす。」明治36年6月15日約定証によると中村作次郎依頼され当時代金は「500円」で模刻している。依頼主中村作次郎保証人辻井太郎東京市神田神保町10番地)。設置場所不明である。 山田鬼斎とは、東京美術学校において岡倉天心師事し当時政府仏像模造制作事業携わり南都薬師寺 東院堂聖観音菩薩像」を木彫した人物木彫品は現在「東京国立博物館の重要文化材」とされている。 中村作次郎辻井太郎富国銀行創設者である。 中村作次郎好古堂の経営者であり美術品精通しており「好古一家言」を著し、「緒方乾山四季花鳥屏風一双」などを所蔵し美術品書画などを多く評論をしている。 辻井太郎神田区旅館営業取締役

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