本写本と勝海舟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/03/25 16:36 UTC 版)
「甲南女子大学本源氏物語」の記事における「本写本と勝海舟」の解説
本写本には勝海舟が使用したとされる蔵書印が確認出来る(それ以外にもいくつかの蔵書印が確認出来るが誰の蔵書印なのか、勝海舟のそれより前のものなのか後のものなのかは一切不明である)。そのため2008年に本写本の存在がマスコミに公表された際には「勝海舟の蔵書であった」という点が大きく報じられた。本写本に押されている「勝安芳」という蔵書印は勝海舟が専ら明治維新以後に使用したとされるものである。勝海舟の回想録である『氷川清話』によると勝海舟は若い時代には熱心に勉強はしたものの蘭学のような「実学」を重んじており文学のようなものは学ぶ機会を持たず、元治元年10月21日(1864年11月20日)に軍艦奉行を罷免され、寄合席となってから慶応2年5月28日(1866年7月10日)、町奉行次席軍艦奉行に復職するまでの蟄居処分となり時間ができたときに初めて源氏物語といったさまざまな書物をきちんと読んだとしている。勝海舟の蔵書は同人の死後そのかなりの部分が紀州徳川家の当主徳川頼倫のコレクション南葵文庫に入り、その多くは関東大震災の後東京帝国大学に寄贈されたが、その他にも個別に売り出された記録もいくつか存在する。本写本がどのような経緯で勝家のもとを離れ京都の古書店のもとに至ったのかは不明である。なお勝海舟旧蔵と見られる源氏物語の写本としては本写本の他に校異源氏物語及び源氏物語大成校異編に青表紙本系統の写本の一つとして夢浮橋1帖のみであるが写本記号「勝」・「筆者未詳(勝安房旧蔵) 桃園文庫蔵」として収録されているものがある。
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