本刈谷貝塚とは? わかりやすく解説

本刈谷貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/06 04:03 UTC 版)

刈谷西部の縄文遺跡」の記事における「本刈谷貝塚」の解説

所在地刈谷市天王町4-2他。 場所と時代本刈谷神社境内中心に広がっており、縄文時代晩期ハイガイ中心とする貝塚である。 出土遺物10数体埋葬人骨シカ・イノシシの骨、やや厚い口部分に押引文・平行線文・波状文などの文様をつける土器出土している。この土器縄文晩期前葉西三河地方土器指標となるものであり、元刈谷土器名づけられている。1969年昭和44年)に出土した遺物は、1974年昭和49年)に愛知県指定有形文化財

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本刈谷貝塚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/04/14 15:27 UTC 版)

本刈谷神社」の記事における「本刈谷貝塚」の解説

本刈谷神社境内周辺には、貝塚の本刈谷貝塚(もとかりやかいづか本刈谷神社貝塚とも呼ばれる)が分布している。 縄文時代晩期土器・石器骨角器人骨などが出土している。この貝塚発見され縄文土器は元刈谷土器(本刈谷ではない)と名づけられ、東海地方における縄文晩期土器標準形式のひとつとされる西三河地方から尾張地方一帯分布している元刈谷土器代表的遺跡である。 1967年昭和42年3月17日碧海台地縁辺部にある山の神遺跡天子神社貝塚、本刈谷貝塚の三か所が、「刈谷西部の縄文遺跡」の名称で愛知県指定文化財史跡となった。本刈谷貝塚は本刈谷神社境内中心に、4,930m2の範囲指定されている。1974年昭和49年)には、刈谷市郷土資料館保管されている「本刈谷貝塚出土品」が愛知県指定文化財考古資料となった

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