月面戦争
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 14:29 UTC 版)
「マブラヴ オルタネイティヴ」の記事における「月面戦争」の解説
火星探査機Viking-1 が1958年に初めてBETAに遭遇した後、人類はBETAとの接触をはかり火星に探査機を着陸させたがことごとく失敗。 1967年月面のサクロボスコクレーターを調査中にBETAの襲撃を受け、調査隊は全滅した。国連安全保障理事会は全ての月面要員に月面恒久基地プラトー1への撤退を命令。月面を防衛するため国連憲章43条に基づき国連軍が組織された。しかし宇宙開発条約により兵装を制限された国連軍には警備用の小火器しか手元になかった。また兵站の確立が非常に困難であり、月面への補給を担っていたマスドライバーでは装甲車のような重火器を輸送できなかった。 国連軍は米ソ両軍を主力とする航空宇宙軍を設立、低重力下での戦闘に対応したMMUを月面に送った。月面に補給基地を持たず、月面への兵站も確立されないなか、国連軍はBETAとの消耗戦を強いられた。また月震により巻き上げられたレゴリスは人類の機械を破壊し、人体を脅かした。過酷な環境での月面戦争に国連軍将兵は疲弊し、月面司令官キャンベル大将は「月は地獄だ」と戦場の現実を簡潔に述べている。国連軍はマスドライバーを利用した長距離砲撃で戦況の立て直しをはかった。BETAの侵攻は一時的に止まったが、砲撃は大規模な月震をひきおこし、人類側のレーダーを沈黙させた。結果国連軍は3つの月面基地を喪失、マスドライバー砲撃は中止となった。 1970年アメリカは機械化歩兵装甲「ハーディマン」を投入。3次元機動を可能にした人類初のFP(フィードバック・プロテクター)はBETAとの戦闘で有効に機能した。FPは月面での過酷な戦争を3年間持ちこたえさせ、戦術機の開発に大きな貢献をはたした。 1973年BETAの地球侵攻が開始されると国連軍はプラトー1の放棄と月面からの撤退を宣言。人類初の地球外戦争は人類の敗北に終わった。
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