最大の政治組織に
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/20 04:42 UTC 版)
「プリムローズ・リーグ」の記事における「最大の政治組織に」の解説
ランドルフ卿ははじめこの組織をエリートだけが加入できる準秘密結社にしたがっていたが、これについてはランドルフ卿の同志であるサー・ヘンリー・ドラモンド・ウォルフ(英語版)が「無神論者と大英帝国の敵を除く全ての階級・信条の者に開かれた組織にすべきだ」と説得して止めた。その結果、リーグは「宗教、国制、大英帝国の護持のために私の持てる力の全てを捧げることを女王陛下への忠誠心にかけて誓う」と宣誓した者は誰でも受け入れられることになった。 結成当初女性は名誉メンバーとしてのみ参加を許されていたが、1884年からは女性メンバーにも男性メンバーと同じ待遇が認められた。こうした女性への門戸の広さは当時の政治組織には珍しく、女性の反応もよかった。プリムローズ・リーグのメンバーの半分は女性であった。 また初めメンバーの種類はナイト(女性はデイム)しかなく、1ポンド1シリングという高い入会金を取られたが、1884年3月から年会費3ペンスから6ペンスのアソシエイトというメンバーの種類が作られたため、これがきっかけで労働者層が大挙して加入するようになった。1884年2月には団体名からトーリーを外したことで党派を越えた支持も期待できるようになった(ただし引き続き保守党寄り団体だったが)。カトリックやアイルランドにも融和的な態度をとって支持を広げようとした。7歳から16歳の子供もプリムローズ・バッドとして受け入れた。こうしてプリムローズリーグは性別、階級、宗派、年齢を越えた政治団体となった。 ディズレーリの二度目の命日である1883年4月19日に行われたディズレーリ像の除幕式がきっかけで、毎年4月19日にプリムローズを飾ったり、着用したりする「プリムローズ・デイ(英語版)」の習慣がイギリス各地で広まり、労働者階級の間に親ディズレーリ、親保守党ムードを構成した。そしてこの習慣の普及に積極的にあたったのがプリムローズ・リーグであった。 プリムローズ・リーグは急速に広まっていた。プリムローズ・リーグのメンバー数は公式発表によれば1884年3月時に957人だったが、1885年3月には11,366人、1886年3月には200,837人、1887年3月には526,248人、1891年3月には1,001,292人、1901年3月には1,556,639人、1910年3月には2,053,019人に達したという。これは当時のイギリスの労働組合運動をはるかに凌ぐ。リーグの公式発表には誇張があると言われているが、それを差し引いてもプリムローズ・リーグが当時のイギリスの最大の政治組織であった事は間違いないと見られている。
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