昭和道とは? わかりやすく解説

昭和道

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/29 03:21 UTC 版)

矢ノ川峠」の記事における「昭和道」の解説

1934年昭和9年12月19日紀勢東線現在の紀勢本線)の三野瀬駅 - 尾鷲駅間が開通し同年峠道も本格的な改修着手されると、1936年昭和11年)、かつての峠道から南谷を回るルート矢ノ川新道)を通る自動車道県道松阪新宮線)が開通した(後に旧国道41号、二級国道170号を経て現在の国道42号)。この1936年昭和11年)から、鉄道省運営省営バス(後に国鉄バス紀南線)が走り紀勢本線開通するまで、一日4便、片道2時間45分かけて運行していた。このバスからの眺め熊野灘一望できる絶景であった自家用車が稀であったこの時代矢ノ川峠運行は、ほとんどがバスおよび木材運搬するトラックであったとされる1944年昭和19年)になり、紀伊自動車三重交通統合されると、矢ノ川峠明治道昭和初期設営された旅客索道とともに廃止された。 1959年昭和34年7月15日紀勢本線全通前日まで、矢ノ川峠には休憩所兼ねた茶屋存在したが、国鉄バスは、尾鷲駅 - 熊野市駅(旧・紀伊木本駅)間の開通により廃止となった。峠にある碑には「冬の日ぬくもりさし 茶屋のあと」の句とともに、かつて茶屋を営んだ女性の名添えられている。 その後1965年昭和40年)より約30億円を要して1968年昭和43年)には、峠の南東矢ノ川トンネル標高320メートル延長2,076メートルとともに、弓山トンネル延長137メートル)および新たに尾鷲市熊野市の境を貫通する大又トンネル延長1,626メートル)が通されたほか、トラス構造千仞せんじんばし)などの橋梁けられ、峠のおよそ400メートル下方新たな道路開通したことにより、国道42号線から外された。 現在、矢ノ川峠昭和道は、熊野市側で道路決壊している区間があり、周辺区間廃道化が進んで峠を越すことはできず、尾鷲市側悪路通行が危険であることから通行止めとなっている。

※この「昭和道」の解説は、「矢ノ川峠」の解説の一部です。
「昭和道」を含む「矢ノ川峠」の記事については、「矢ノ川峠」の概要を参照ください。

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