昭和電力副社長へ転ずる
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/15 13:48 UTC 版)
大同電力傍系の電力会社では、大阪電力社長を務めていたが1931年12月これも退任(1933年6月取締役からも退任)。常務を務める天竜川電力は1931年11月矢作水力に合併されたが、矢作水力では村瀬は取締役である。これらに対し、昭和電力株式会社では大同電力副社長退任を機に監査役から社長に昇格した。 昭和電力は、1926年(昭和元年)12月に庄川水系や九頭竜川水系など北陸地方における電源開発を目的に資本金4000万円で設立された大同電力の傍系会社である。設立とともに村瀬は取締役に就任し、1931年5月の役員削減の際に監査役に移っていたが、1931年12月28日の株主総会にて増田と入れ替わって代表取締役社長に選出された。こうして第2代社長に就いたものの、1年半後の翌1933年(昭和8年)6月16日、親会社の統制強化に伴う重役総改選があり、増田が社長に復帰して村瀬は副社長に下がった。副社長在任中の昭和電力では、庄川祖山発電所の建設以来不況のため中断していた電源開発を再開し、1937年(昭和12年)以降九頭竜川水系に2つの発電所を新設したほか、総出力20万キロワットに及ぶ電源開発計画にも着手した。 日中戦争下の1939年4月、親会社の大同電力が国策会社日本発送電に設備を出資するなどして解散した。大同電力社長の増田次郎は日本発送電初代総裁に転じ、これに伴い昭和電力社長も辞任したため、昭和電力では村瀬が副社長のまま同社を取り仕切ることとなった。しかし同年10月31日、経営合理化などを目的として昭和電力は日本発送電に吸収された。追って取締役を務める矢作水力も日本発送電その他に設備を出資して1942年(昭和17年)4月に解散した。
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