昭和の織物争議
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「丹後ちりめんの女工」の記事における「昭和の織物争議」の解説
当時の丹後地域の賃金は日本一低い賃金であった。全国労働者の平均賃金が2万9千円、また同じ京都府内の西陣織物の労働者の賃金は一台持ちで1万6千円、2台持ちで2万3百円。対して丹後織物労働者の平均賃金は6千5百円(時間給35円)。低賃金に対する労働者の切実な要求が高まり、安保闘争や町職労組の賃金闘争等の影響もあり、織物労働者の労働組合が結成され織物争議が起きた。 織物争議の経過年月日内容1959年(昭和34年)4月 最低賃金法が制定。 1960年(昭和35年)~1961年 網野町(網野・浜詰・三津)、丹後町(間人)、弥栄町(和田野・木橋・鳥取)、大宮町(周枳・河辺・口大野・奥大野・善王寺)、与謝野町(岩屋・野田川下山田)の各地域に織物労組が結成された。峰山地域には労働組合は結成されず、織物争議は起こらなかった。 1961年(昭和36年)2月 丹後において、業者間協定に基づく最低賃金制(1日224円)が制定された。 1961年(昭和36年)4月 与謝郡加悦織物労組が1日70円の賃金アップを求めて無期限ストライキを起こした。9日間のストライキの末、67円で妥結した。 1961年(昭和36年)5月16日 丹後織物網野労組が時間給30%アップを要求し無期限ストライキ。1か月余りの紛争になり、結果時間給45円、一時金2千円プラスで妥結。 1961年(昭和36年)8月10日 大宮町の丹後織物周枳労組が、夏期の一時金1.8か月分の要求をし、22日間の長期ストライキを起こす。結果1.5か月プラス500円の夏期一時金と時間給45円で妥結。
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