昭和の織物争議とは? わかりやすく解説

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昭和の織物争議

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 03:12 UTC 版)

丹後ちりめんの女工」の記事における「昭和の織物争議」の解説

当時丹後地域賃金日本一低い賃金であった全国労働者平均賃金2万9千円、また同じ京都府内の西陣織物の労働者賃金一台持ち1万6千円、2台持ち2万3百円対して丹後織物労働者平均賃金は6千5百円時間給35円)。低賃金対す労働者切実な要求高まり安保闘争や町職労組賃金闘争等の影響もあり、織物労働者労働組合結成され織物争議起きた織物争議経過年月日内容1959年昭和34年4月 最低賃金法制定1960年昭和35年)~1961年 網野町網野浜詰三津)、丹後町間人)、弥栄町和田野木橋鳥取)、大宮町周枳河辺口大野・奥大野・善王寺)、与謝野町岩屋野田川下山田)の各地域織物労組結成された。峰山地域には労働組合結成されず、織物争議は起こらなかった。 1961年昭和36年2月 丹後において、業者協定に基づく最低賃金制1日224円)が制定された。 1961年昭和36年4月 与謝郡加悦織物労組1日70円の賃金アップ求めて無期限ストライキ起こした9日間のストライキの末、67円で妥結した1961年昭和36年5月16日 丹後織物網野労組時間給30%アップ要求し無期限ストライキ1か月余り紛争になり、結果時間給45円、一時金2千円プラス妥結1961年昭和36年8月10日 大宮町丹後織物周枳労組が、夏期一時金1.8か月分の要求をし、22日間の長期ストライキ起こす結果1.5か月プラス500円の夏期一時金時間給45円で妥結

※この「昭和の織物争議」の解説は、「丹後ちりめんの女工」の解説の一部です。
「昭和の織物争議」を含む「丹後ちりめんの女工」の記事については、「丹後ちりめんの女工」の概要を参照ください。

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