昭和の記念碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 18:13 UTC 版)
1930年(昭和5年)、カモイワッカオイに建てられた「大日本恵登呂府」の標柱が朽ち果ててしまったとして、北海道庁が蘂取村の大沢村長に新しく作り直すことを依頼した。村では御影石で記念碑を建てることとし、本土に制作を発注した。記念碑は船で運搬され、公務員を主とする択捉島民の手で蘂取村カモイワッカ岬に「大日本恵登呂府」昭和の記念碑が建てられた。この記念碑は、1945年(昭和20年)まで現地に存在していたことが確認されているが、それ以降は確認されていない。
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