昭和の終わりと皇位継承問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/18 02:16 UTC 版)
「菊タブー」の記事における「昭和の終わりと皇位継承問題」の解説
1989年(昭和64年)の昭和天皇没後、昭和という時代の再評価が様々な場で議論される事となる。天皇側近の記録などが公表され、それまで問題視されていなかった昭和天皇の戦争責任も含めた論説を積極的に出版する動きも現れはじめた。また、主なマスメディアではタブーであった軍服姿の昭和天皇の写真も掲載されるようになった。中でも『昭和天皇独白録』が有名である。 2004年(平成16年)には、徳仁(当時皇太子)が欧州歴訪前の記者会見で述べた「人格否定発言」が波紋を広げたことで、これまでタブーとされていた皇室の内幕や皇室のあり方に対する報道が「海外メディアによる報道の引用」を含め数多くなされるようになった。 2005年(平成17年)には皇室典範に関する有識者会議が開かれ、皇位継承問題が広く一般にも語られる事となった。 2007年(平成19年)の承子女王の私生活に関するスキャンダル(留学先での活動を一個人としてブログで公表)に関して一部メディアで報道された。 また、宮内庁のホームページには意見や感想をメールで出せるようになっており、その中には皇室支持者による宮内庁に対する意見や批判のメールも送られることも増えてきたようである(『文藝春秋』)。 なお、天皇制の存廃に関する論議や皇室の人物に関するパロディなどが自由にできない状況にあるため、菊タブーの状況は根強いのではないかとの指摘があるものの、菊タブーに対する指摘自体は差し支えなく行われている。
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