昭和の水害
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/17 20:23 UTC 版)
1932年7月2日の梅雨末期の豪雨による、二位谷池・福田池などの決潰がもたらした大きな水害である。午前7時40分、突如押し出した鉄砲水によって、芝町・平田山の南浦から下滑原一帯では、死者33人、家屋流出47棟の惨禍を生じた。その他、永代池の決潰や三木山国有林の山崩れによって、市街地の各所に多くの被害を出している。また、農村部でも、美嚢川水系の反乱や溜池の決潰により、家屋・田畑・農作物等にあまたの被害が出た。この水害を記念にし、上の丸町に当日の悲惨さを後世に伝えるために記念碑が建立された。この水害の後に1945年10月に美嚢川の氾濫による水災が起きた。 三木町での昭和の水害の被害状況 死亡負傷家屋流出家屋全壊家屋半壊家屋小破床上浸水床下浸水その他田畑流出・埋没田畑浸水溜池決潰33人 28人 47戸 10戸 17戸 23戸 73戸 1,450戸 12戸 153反 300反 5ヶ所
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