昭和の昇雲とは? わかりやすく解説

昭和の昇雲

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/27 01:24 UTC 版)

山本昇雲」の記事における「昭和の昇雲」の解説

東陽堂主人の死を機に明治45年1912年12月東陽堂を退社大正期日本画家として美人画描いて注目集めたが、大正15年第7回帝展に「当たり狂言楽屋振舞の図」を出したのを最後に昭和元年1926年画壇から引退する。しかし、絵は亡くなるまで描き続けており作品数は相当な数に及ぶ。昭和19年1944年福井県福井市、ついで越前市疎開。昇求めに応じて絵を描き地元人々は昇経歴知らなかったが、子どもの希望でも快く応じる昇野菜などの食べ物お礼をしたという。昭和22年1947年疎開先から戻り目黒区転居し市井静かに絵を描き続けた晩年再び注目され昭和31年1956年8月美術手帖』の紙上座談会出席し木村荘八安藤鶴夫槌田満文対談昭和36年1961年岩田専太郎志村立美らの挿絵協会より挿絵先駆者として表彰を受ける。昭和40年1965年)昇94歳の天寿を全うし世を去った墓所青山霊園

※この「昭和の昇雲」の解説は、「山本昇雲」の解説の一部です。
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