昭和の戦後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/07 06:49 UTC 版)
太平洋戦争で京都は戦場になる事はなかったが、上冷泉家の冷泉為臣(22代当主・冷泉為系の長男)は中国へ出征し、戦死した。為臣には子がなかったので、為系の娘・布美子に同じ歌道の家柄である西四辻家から為任が婿入りした。 上冷泉家の25代当主(現・当主)冷泉為人は、財団法人冷泉家時雨亭文庫を設立した24代当主・冷泉為任の娘婿で、同文庫の理事長である。為人は、近世京都画壇研究の第一人者で、大手前女子大学教授・池坊短期大学学長を経て、現在同志社女子大学客員教授を務めている。旧姓名は松尾勝彦だったが、為任の長女貴実子の婿として25代当主を継承するために、家庭裁判所の許可を経て改名した。貴実子は、同文庫事務局長である。
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