西大寺市新設と岡山市への編入合併以後
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「西大寺 (旧市域)」の記事における「西大寺市新設と岡山市への編入合併以後」の解説
明治以降、行政の変遷により合併が幾度か行われ、昭和の戦後には当地は上道郡西大寺町・古都・可知・光政・津田・九蟠・金田・雄神の各村と邑久郡豊・幸島・太伯・朝日・大宮の各村と邑久町長沼の合計14町村に分かれていた。昭和28年2月、14町村の内の西大寺町と古都・可知・光政・津田・九蟠・金田・豊・幸島・太伯各村と邑久町の内の長沼(東谷地区のぞく)の11町村が合併し、西大寺市を新設、かつての西大寺村域に市役所を構えた。翌年には邑久郡大宮村宿毛の内の一部(幸地崎町)が西大寺市へ編入し、続く同30年に上道郡雄神村・邑久郡朝日村の2ヶ村が編入、さらに同31年には邑久郡大宮村(千手地区の一部は牛窓町へ編入)が編入合併し、現在の西大寺エリアが確定した。 西大寺市は地域の振興政策に積極的に取り組んだが、岡山県南百万都市構想を経て、活路を岡山市との合併に求めることとなり、昭和44年2月18日に岡山市への西大寺市の編入合併が成立、16年間の市政にピリオドを打った。西大寺市の市庁舎は西大寺支所となり、旧市域を管轄した。 なお岡山市へ編入後、住所表記上、大字に西大寺の旧市名を冠していたが、昭和47年7月20日の住所地番変更により旧西大寺村域を中心とした地域および他地域に同名・類似の地名がある地域にのみ西大寺の名を大字に冠し、それ以外の地域には西大寺の名は外された。
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