早熟した才能が世界チャンピオンを破る
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「アデミール・ダ・コスタ」の記事における「早熟した才能が世界チャンピオンを破る」の解説
1974年の13歳の時に磯部清次が管轄する極真会館ブラジル支部に入門。14歳で緑帯・15歳で茶帯・16歳で黒帯を取得し、神童と呼ばれた。1979年に18歳でブラジル選手権で優勝。同年第2回オープントーナメント全世界空手道選手権大会に出場。2回戦で日本代表の野口敏郎弐段を破り、3回戦でスウェーデンのナカン・ニーグレンに延長で右前蹴りで技ありを奪われ敗退したが、スピードのある攻防を見せた。しかし、大山倍達大会最高審判長は「この選手は将来必ず伸びる」と太鼓判を押した。 強くなるためにアデミールは、稽古の他に普段の生活の中でも 12~13kgの鉛を持ち歩いて空手一筋の生活をして鍛錬し続けた。1981年に来日。本部道場で3か月の内弟子修行後、同年の第14回オープントーナメント全日本空手道選手権大会に出場。4回戦で中村誠と対戦。アデミールはトーナメント表を見たとき「それまで中村師範がたったの一発で相手を倒すのを何度も見ているし、師範は130kg。当時の私は68kg。はっきりいって泣いたよ(笑)。逃げるしかない、それしか方法がないじゃないか、と考えていた試合前日、稽古場に中村師範がやってきたんです。ニヤッと笑って、私の肩をたたき『グッド・ラック』とね。何か私を見下している感じがして、それで目が覚めた。簡単には倒されないってね」と語った。 当日は互いに勝ち上がって予想通り4回戦で対戦。しかし、試合は予想に反して延長2回までもつれ込む激戦となった。中村の前蹴りを下段払いとフットワークで回り込みながら左後ろ回し蹴りや後ろ蹴りで反撃。左変則回し蹴りで中村は顔面に蹴りをいれられるなど、アデミールは自分のペースで闘い、判定3対0で中村に勝った。 その時の喜びをアデミールは「中村師範はたぶん私のことを甘く見ていた上に、体力的にも100%ではなかったように思うよ。自信を持ちすぎていたこともあるだろう。本戦は案の定がガンガン攻めてきたので、私は攻撃をかわすことに終始した。たった一つの頼りはスピードだっただけだから。中村師範の戸惑っている表情が印象に残っている」と答えた。準々決勝では水口敏夫と対戦。突きを決め、水口をたじろがせたアデミールだが再々延長まで持ち込まれ、試割り枚数と体重判定で惜敗したが、6位入賞を果たした。しかし、中村に勝ったことで2年後の第3回全世界選手権の優勝候補の一人として挙げられ、注目を浴びた。
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