旧・兵庫県師範学校、兵庫県第一師範学校、兵庫県御影師範学校、兵庫県師範学校
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/15 01:28 UTC 版)
「兵庫師範学校」の記事における「旧・兵庫県師範学校、兵庫県第一師範学校、兵庫県御影師範学校、兵庫県師範学校」の解説
1897年10月:師範教育令に準拠、兵庫県師範学校と改称。 1899年7月:武庫郡御影町の新校舎に移転。 1900年4月:兵庫県第一師範学校と改称。 1901年8月:兵庫県御影師範学校と改称。 1907年12月:寄宿舎焼失、再建に当たり小寄宿舎制を導入。上級生による下級生いじめの緩和が図られた。 1915年:第2部を設置(修業年限1年、中学校卒業者対象)。 1917年:第一回日本フートボール大会(現・全国高等学校サッカー選手権大会)優勝。以後1923年まで無敵の七連覇を果たす。 1924年4月:通学許可制導入(全寮制崩壊)。 1926年5月:専攻科を設置(修業年限1年)。 1931年:第2部、2年制となる。 1933年12月:文部省告示第323号により、兵庫県師範学校の1936年4月開校が公示される。 1936年4月:御影師範学校と姫路師範学校とを統合して、兵庫県師範学校設立。新校舎完成までは、各師範学校校舎を分校として使用。 姫路師範学校廃止の代償として、県立工業学校を設立(現・兵庫県立姫路工業高等学校)。 1938年6月:武庫郡住吉村赤塚山の新校舎にて新築開校式開催。寄宿舎は軍隊式の大寄宿舎制となり、当初は旧師範学校間の主導権争いが問題となった。 旧御影師範学校校舎は、1938年から1939年にかけて、灘中学校が仮校舎として使用した。また、1940年からは神戸商業大学予科の校舎となった。
※この「旧・兵庫県師範学校、兵庫県第一師範学校、兵庫県御影師範学校、兵庫県師範学校」の解説は、「兵庫師範学校」の解説の一部です。
「旧・兵庫県師範学校、兵庫県第一師範学校、兵庫県御影師範学校、兵庫県師範学校」を含む「兵庫師範学校」の記事については、「兵庫師範学校」の概要を参照ください。
- 旧・兵庫県師範学校、兵庫県第一師範学校、兵庫県御影師範学校、兵庫県師範学校のページへのリンク