日野市立図書館における実践
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「中小都市における公共図書館の運営」の記事における「日野市立図書館における実践」の解説
『中小レポート』で打ち出された図書館の奉仕活動の理念を、実践によって発展に導いたのが日野市立図書館である。日野市では日本図書館協会の事務局長であった有山崧(ありやま たかし)が市長に就任し、『中小レポート』の実務を担当した前川恒雄が図書館長に就任した。 日野市立図書館では、図書館の施設そのものの建設よりも、移動図書館を通じての市民への貸出を先行して実践した。すなわち、市の中心部に大きな中央図書館を建設し、その後市内各所に分館を設置し、移動図書館を導入するといった従来的な図書館づくりとは全く逆のアプローチが試みられたのである。。 日野市立図書館では、1965年(昭和40年)に移動図書館「ひまわり号」によるサービスを開始。翌1966年(昭和41年)に高幡図書館、多摩平児童図書館(電車図書館)が開館。中央図書館が開館したのはその後、1973年(昭和48年)のことであった。 これは従来の閲覧中心の図書館から貸出中心への転換を目指すものであり、それを支えたのが潤沢な図書購入費であった。発足2年目に投じられた図書購入費1,015万円は、当時都道府県立図書館および政令指定都市の図書館まで含めても全国11番目に多いものであった。 これは、図書館活動における図書購入費の臨界点を示す結果ともなり、日野市立図書館が市民に活発に利用されたことは、『中小レポート』で提示された仮説を実証するものでもあった。図書館の不振の原因は、市民の読書意欲のなさによるものではなく、図書購入費と蔵書の少なさであることが見出された。すなわち図書館活動に一定以上の図書購入費がなければ、蔵書自体に魅力がなくなり利用者が減って、結果的に投じた経費そのものが無駄になるのである。 また『中小レポート』は単に思想論にとどまらず、貸出利用率、蔵書流通率、登録率などの各種指標を通じて図書の運用効率を示し、図書館の運営に経済的な合理性を持ち込む経営論でもあったため、日野市立図書館での試みは、『中小レポート』の論理を実証によって裏付けるものとなった。
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